制作プロジェクトHaLoを主宰するayakoが、音楽、写真などHaLoとしての活動について、また、mac、旅、映画、本、猫、食べ物、気になったニュースなどについて、徒然に綴ってます。


by ayako_HaLo
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと02(生死に関わること)

藤井さんは、とにかく話をすることが大好きでした。(海外でも相当仕事をしていましたが、基本的に京都弁しか話さないので、海外の一部の人たちは、彼を寡黙な人だと思っているようですが、常に話したいことが満載の人でした。私とは時間を忘れて話し込んで次の予定に遅れそうになったり、電車の中で話し込んでいて、目的地で下車し損なったりはよくあることでした。ただ、彼の中に「寡黙な」部分はあったので、間違いとも言い切れないけれど)

トピックの幅は、もちろん一番多かったのは音楽関係の話だったけれど、それだけでなく、料理のことから、建築のこと、写真のこと、本のこと、デザインのこと、などなどのアート全般、科学、化学、宇宙のことなど理数系分野、そして、心理、社会学、民俗学、政治のことなど、文系分野のこと、その時に話題に上ったいろいろな話を、いつもいつもしていました。

自分の家系のことについても、何度か聞きましたが、大陸から京都に渡ってきた移民の末裔で、家系図で見るとずっと行李などを作る「箱屋」をやっていたそうです。藤井の藤の字は平安時代の京都の貴族、藤原良相(よしみ)って人から一字もらったらしく、それと箱屋の「井」を合わせて藤井なんだと言っていました。

日本に渡って来る時に、たくさんの馬や人が亡くなるような旅だったことが記録に残っているとも。そんな1000年単位の昔のことを、見てきたかのように話す人で、もう何十年もハサミを入れてない長い黒髪の風貌や、写真を撮られることをものすごく嫌がることとも相まって「きっと妖怪だから不死身だ」というイメージがありました。だから、こんなに急に逝ってしまうなんて、全く想像もしていませんでした。

写真を撮られるのを嫌がるのは、実はテレポート出来たり、複数ボディがあるので、時間と場所が特定されてしまう写真に残るとまずいのか、とか、そんな冗談も本人に向かってしていましたが、笑っているばかりでした。

あちこち仕事も含めて一緒に旅行に行ったのですが、その時に、死んじゃってもおかしくなかったということが二回ほどありました。

どちらも、仕事というよりは、撮影とか、打ち合わせとかにかこつけた、リラックスメインの旅だったのですが、東京にいるときに、殆ど寝ないような仕事中心の生活をしていて、それから、ぱっと開放されるため、体調を崩したのかもしれません。

一度目は、バリ島で。
彼は、幼少の頃(確か9歳の頃)、一人でガムランを習いにバリ島に行って、お師匠さんのところに住み込んでいたことがあったそうで、大人になってからもバリには何度も通っていたようでしたが、そのうちの一回に同行したことがあります。

ウブドにしばらく滞在したあと、アグン山の麓にあるグリアスマルンというバンガロー(http://www.geriasemalung.com/index.html)に入ってから、体調を崩し、高熱が出てうなされるような状況になりました。病院に行ったり、医者にかかったりすることを嫌っているのは知っていましたが、かと言ってそのままにするわけにもいかなかったので、現地の中国人のお医者さんに往診をお願いしました。

このお医者さん、バリ島の人たちからは、ほとんどお金を取らずに診療し、外国から来た人からは、ある程度の金額を得るという方針の方で、薬代も含めて、日本円で1万円ほどお支払いしたように思います。結構いいバンガローの一泊二食付きの料金が1,000円ほどだったので、結構な金額ですが、この方針を藤井さん自身はとても気に入り、元気になってから、いいお医者さんに出会えたと言っていました。

バリ島の民間療法的なことで、熱があるときは生のバナナの葉っぱを切り取って額に当てるといいと聞き、あててあげると、これは気持ちよかったらしく当てたままにしていましたが、別の「玉ねぎをすりおろしてその中にいろいろなスパイス(薬草など)を混ぜて、背中に直に塗る」というのは、予想通り嫌がってやらせてくれませんでした。

数日、高熱にうなされていましたが、なんとなく「この人は死なない」と思っていた部分もあり、ずっと側についていたって状況は変わらないだろうと、冷たく、外に遊びに出歩いていた私と違って、私たちがバンガローに到着する前日に迷い込んできた子猫は、ずーっと側にいてくれて、こっちの世界に引き戻してくれたとあとで言っていました。写真は、ブラン(インドネシア語で月の意味)と私が名づけたその子猫。青いブランケットの山は、実は初めて口外しますが、藤井さんの足です。(部分であっても写真を撮られるのをものすごく嫌がったので、めったに撮らないのですが、この写真は別格でした)
b0024339_148967.jpg

この子猫ブランの写真は猫のポストカード集の中にも一枚収め、そして、一枚目のアルバムblue(http://amzn.to/1cl3OjZ)の紙ジャケットにも収めました。そして、同じアルバムにbulanという、この子猫のことを歌った曲も書いて収録しました。

あとで本人に聞くと、あっち行ったりこっち行ったり、生死の境をさまよっていたらしいのですが、ブランが引き戻してくれ、宿のスタッフに何とか車で空港まで二時間かけて送ってもらい、飛行機に乗って帰ってくることが出来ました。ほら、やっぱり死ななかった、という体験でした。

二度目は、中国の雲南省、昆明で。
こちらは、中国琵琶の名手、Liu Fang(https://www.facebook.com/liufangmusic?fref=ts)の故郷。しばらく前に出会って仲良くなったLiu Fangが現在暮らすカナダから、実家の昆明にしばらく帰省すると聞いて、そのタイミングに、共通の友人のJing Yuと二人で押しかけました。

Liu Fangの旦那さんのRishengとJingと私の確か三人で、雲南省をあちこち旅行をしてから昆明に戻ってきたところに、藤井さんが合流してきました。Liu Fangのお宅でのホームパーティまでは参加していたような気がしますが、その後倒れ、ホテルの部屋で高熱でうなされることになりました。意識も朦朧としている状況だったので、まずは、ホームパーティに来ていたLiu Fangのお知り合いの漢方の気功のお医者さんにアポイントを取って診てもらい、土瓶で煎じて飲む漢方の生薬をどっさりいただきました。その上に、西洋医学の病院でも診察してもらい、そっちのお薬もいただき、ホテルの部屋で静養することにしました。漢方の生薬は一体何が入っているのか、私なんかには全く分かりませんでしたが、なんだかすごそうな薬だ、という匂いがしていました。毎日Liu Fangの実家で煎じてもらってはポットに入れてお部屋に届けていましたが、かなりの量が入っていたため、夜、ポットを取りに行くと、まだ残っていることがありました。ある日、どんな味の、どんな薬か興味があった私と友人のJingが一口ずつ飲んでみたら、一気に体がかーっと熱くなり、酔っ払ったようなトリップしちゃうような、そんな薬で、二人で部屋でハイになった記憶があります。

そんな薬を飲んだおかげか、この時も、無事に藤井さんはこっちの世界に戻ってきました。あとで聞くと、私たちがこっそり飲んだあの漢方の生薬の薬のお陰で(すごい強い薬だった、と)、いろんな世界を見てきたと言っていました。この時も、ほら、やっぱり死なない、という経験を重ねたことになりました。

どっちの経験を経ても、本人は「誰しも死ぬときは死ぬんだし、死んじゃったらそれでおしまい」そんな風に言っていましたし、死んだあとの世界はないと考えているようでした。また、死ぬときは、ちゃんと準備しておいて阿片窟に入って死にたい、とも言っていましたが、「そんなにうまく希望通りに行くわけないじゃん」と私がいつも言っていた通り、実際には、阿片窟に入る願いは叶わなかったみたいです。

それでも、最後まで自分の部屋で大好きなMacの中で録音データを編集作業している時に、おそらく何らかの発作が起こり、そのまま横になって眠るように安らかに旅立った様子だったと聞き、かなり本人の希望通りだったように思います。ただ、ちょっと早すぎたし、突然過ぎたよね。

急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと01(出会い)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと02(生死に関わること)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと03(今現在)
急逝したレコーディングエンジニアの藤井暁さんのこと04(録音のこと)
[PR]
トラックバックURL : http://fromayako.exblog.jp/tb/21538817
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by ayako_HaLo | 2013-11-26 01:50 | friends | Trackback | Comments(0)