自分の作ったお米と大豆で味噌を造る
2006年 02月 07日
その書きたかったのに書かなかったことを今日は書きたいと思う。
まず、今日のタイトル。私たちがお邪魔したときの味噌仕込みの作業で使われていた大豆とお米は、AさんBさんCさんDさんのお宅ともに、「自分のところで採れたお米と大豆」で仕込んでいらっしゃった。よく「手前味噌」なんて言って、これは自分のところで作ったお味噌が美味しいってことから出て来た言葉だと思うのだけれど、それの究極バージョン。人間の手にはそれぞれ菌が住んでいて、その手で味噌玉を作ったり捏ねたりするし、熟成を重ねる部屋の中にも何らかの菌が住み着いているから、例え同じ材料で作ったとしても味噌の出来上がりは色々違うものになって、面白いものだと思うのだけど、ここでは材料の「根本」から自分で作る。
私はホントにシロートだから、一口に「大豆」なんて行ってしまうけれど、大豆にも早稲〜晩成っていうような出来る時期に合わせた種類や、クラカケ(このお豆も大好き!この話もまたいつか)系のものとか、種類が色々とあるみたい。今回「あやこがね」という種類もあるってことを聞いて、この新しい種類もいつか作ってみたい気がしている。単に名前から、の話なのだけど。
同じ中条村の中でも、どの種類の大豆を作っているかっていうのは色々あるみたいで、お鍋の中で煮えている大豆は見るからに緑っぽかったり黄色っぽかったり違っていたし、茹でたてのお豆をいくつもいくつも食べさせてもらった(お茶受けにテーブルの上にも出ていたw)けれど、味や食感が違うのだ。
大豆だけじゃなく、お米も各家庭で採れたお米を使っているから、こちらも微妙に味が違ったり、精米の度合いが違ったりして色も違う。豆や米の段階で味が違うのだから、出来た味噌も違うはず。いいなあ。いつかきっと私も自分の作ったお米と大豆で味噌を造るつもりだ。その為にも一年間に自分たちが一体どれくらいの味噌を消費するのか計算しなくちゃ。
そして。
味噌を造りながら質問したことの一つに、「今作っている味噌は、熟成を重ねれば重ねるほど美味しくなるものなのか?」ということがあった。なんとなく「熟成」って年を重ねればどんどん良くなるもののような気がしていたから。もちろんそんなに長く食べずにとっておけるかどうかってのは場所や管理の問題、食欲の問題で難しいとは思うのだけど。
それに対する答えが、ちょっと意外だった。この共同作業所で作っている味噌っていうのは半年〜1年(暑い夏を超えたら)食べ始められるとのことだったのだけど、どうも長く置いておいたからと言って美味しくなるとも限らないようなのだ。「一番美味しいのは1~3年くらいのときかしらね」というのが要約した答えのようだった。
更に加えて「昔のように『味噌(麹)部屋』があって麹を加えないで作る味噌は年数が経てば経つほど美味しい」というようなお話も聞けた。ほ〜、そうなのか。
2005年の4月に書いたポスト映画『タイマグラばあちゃん』の中に出て来るおばあちゃんは、その「麹を加えない方法で、味噌部屋を使って」味噌を仕込んでいた。
(とても美しい映像とお話だった。機会があれば、是非見て欲しいドキュメンタリー映画。今年も岩手、宮崎、北海道、東京の上映日程が既に出ているようなので、お近くの方は是非。)
自家製天然酵母でパンを焼き始めてから、酵母を買って来て加えるということはしなくなった。誰に習った訳でもないし、最近はすっかり分量も計らず目分量で作るようになってしまったので、出来上がるものが毎回違ったりもするのだけど、それでも出来上がったものは愛おしい。今回は少し出来の悪い子だと思ってももちろん最後まで美味しくいただくことが出来る。味噌に関しても、最初は麹を加える味噌を造ることになるんだと思うけれど、いつか「味噌部屋」をつくり、そこに我が家の「味噌麹」に住んでもらって、時間が経てば経つほど美味しい味噌を作ってみたい。
これは、全てのことに通じていて、時が経てば経つほど良くなるものを作りたいし、良くなるものを手に入れたい。私自身も年をとればとるほど良くなりたいもの。めざせ、味のあるおばあちゃん、なのだ。