違和感
2006年 12月 16日
ずっと政治には違和感がある。
今回の「改正」教育基本法が可決されたのもその一つ。
積極的に政治に関わりたいとは思って来なかったし、
「政治的」なことは苦手だし好きでもない。
でも、逃げていいことじゃないと思って、
これまでも、意見を表明出来る機会があれば
自分の理解の範囲内で考え、言葉にしたり、署名をしたりしてきた。
(今回は国会議事堂まで行ったりまでした)
けれどどういうわけか、少数派に属すことが多く、
(少数派の方を選んでいる、という訳でもないと思うのだけど)
今回も、少数派だったんだろう。
133対91という得票差で可決されてしまった。
(議員の数ではなく世論調査だったら、
少数派だったかどうかさえわからないんだけど)
子供の頃、学級会で何かを決めるとき、
「民主的に多数決で決めましょう」
ってなことで投票したりして、いろんなことを決めてた頃には
多くの人が支持する考えの方が、
より良い結論な(可能性が高い)んじゃないか、
と漠然と思っていたような気がするんだけど、
(そう思わされていたのかもしれないけど)
本当にそうなのか???
多数決は民主的なのか?
教育基本法や憲法なんて大事なことを
多数決で決めていいのか?
今日は参議院議員の多数決だったんだけど、
その選挙のときの投票率は何%だったのか?
自民党、公明党は、一人のもれなく、賛成に投票したんだろうと思う。
ある政党に属するということは、
全ての内容に対して同じ意見を持つということなのか?
郵政民営化の議論の時に、自民党案に反対した「造反議員」は
その一点において、党を追い出され、
党の決定に従わなければ、(議員としての)存在権を脅かされる
という様子を見せつけられた。
「反省文を書け」だとか何とかいう話になってるのを見た時には、
これは、だいの大人の世界の話なのか?とも思った。
そういう政党という枠組みの中で、
多数決という仕組みを使って行われる政治は、
本当に最善と思われる結果を導き出せるのか。
本当に最善の決断だったのかどうか、
っていうのは結局、しばらく後になってみないと
判断のつかないことかも知れない。
最善ではなかったのではないか、という結論が出たとしたら
その時に、ちゃんと反省して取り戻せるのか。
日本という国は、反省して取り戻す、
ということがとても苦手なような気がする。
だから、おいそれと「じゃあ、試してみようか」とは思えないし、
事前に可能性を限りなく話し合って欲しかった。
話し合うべきだった。
教育という、本当に大事な大切なことを扱う議題だったのだから。
悲願の防衛省昇格も「すんなり」可決してしまって、
ホントにこの国どうするの???
この政治制度で運営されるこの国にいる以上、
この制度についてはもっとちゃんと学ばなくてはならない気がしている。
偉い人たちに任せておいたら、大変なことになる。
そう改めて思った今日だった。
根幹から変えないとダメなんじゃない?