「ほっ」と。キャンペーン

制作プロジェクトHaLoを主宰するayakoが、音楽、写真などHaLoとしての活動について、また、mac、旅、映画、本、猫、食べ物、気になったニュースなどについて、徒然に綴ってます。


by ayako_HaLo
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2月4日(火)、無事に下北沢にあるライブハウス440でのレコーディング・エンジニアの藤井暁さんを偲ぶ会を終えました。

途中、かなり大粒の牡丹雪が降ったりして、とても寒い日でしたが、11時のオープンから、入れ替わり立ち代りひっきりなしに縁のあった方たちが足を運んで下さり、お見かけしたことはあるものの、ちゃんとお話したことがなかった人、とても濃いお付き合いをしていたのに、最近ご無沙汰だった人、話は聞いていたけど、お会いしたことなかった人、とうとうチャンスがなくて話しかけられなかった人、たくさんの方たちのお陰で穏やかで優しい空間になりました。

本来の貸し切り時間の21時まで、あっという間に時間が過ぎ、一旦中締めをして、12時過ぎまで、お酒を飲む人、ご飯を食べる人、お茶を飲む人、名刺交換をする人、誰かと誰かを紹介する人、それぞれにいい時間を過ごしてくださったように思います。

何人もの方から「こういうのいいね」「自分の時もこういう会をやって欲しい」という声を聞きました。生前の藤井さんは、「みんないつか死ぬんやから」という感じでお葬式や偲ぶ会なんかには、ほとんど足を向けなかった人でしたが、残された私たちにとっては大切な時間になったと思います。

あれだけそうそうたるミュージシャンが会場にいながら、誰一人演奏しなかった、というのも良かったのかもしれません。

私自身は、亡くなってもなお、人をつなぐ藤井さんのエネルギーを感じていたので、あちこちで、知り合ってない人たちをつなぎ、私もつないでもらって、何だかバタバタの一日でした。ゆっくり「偲ぶ」というよりは、「ありがとね」な感じだったし、まだまだ、自分の中で、藤井暁の死を飲み込めていない、というか、まだ、「ちょっと電波の悪いところにボランティアに行ってた」と言って、ひょっこりメールが来そうな幻想から抜け切れないでいます。

最後まで謎は謎のまま、な部分もたくさん残っていますが、また時々集まって、藤井暁の謎とき会でもできたらいいなと思います。

しばらく徹夜で書いていた、このブログを「読みました」とお礼を言ってくださる人に何人も会い、ああ、とりあえず勢いで書いて良かったなと思います。まだ書くことはあるので、そのうち書きたいと思いますし、今回寄せてもらったメッセージもボチボチ時間を見つけて「藤井暁を偲ぶ」というHP
http://fujiisatoru.jimdo.com/
に掲載しています。

ひとまず、みなさま、ありがとうございました。

急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと01(出会い)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと02(生死に関わること)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと03(今現在)
急逝したレコーディングエンジニアの藤井暁さんのこと04(録音のこと)
急逝したレコーディングエンジニアの藤井暁さんのこと05(偲ぶ会を終えて)

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by ayako_HaLo | 2014-02-08 04:11 | friends | Trackback | Comments(2)
話をするのが好きな人だったので、昔の話もたくさん聞かせてもらったのだけど、私の記憶力が貧弱なために、間違って理解してたり、忘れちゃったりしているところがたくさんありそうだし、あえて、話さなかったこともあったみたいだ、ということを断った上で、書いておこうと思います。

中学は途中で行かなくなった、という話でした。中学は、出席せんでも卒業させてくれるんやなあって言ってました。最終学歴は中卒です。学校に行かなくなって何をしていたかというと、あちこちのコンサート会場に出没したり、学生運動の「伝令」になったりしていたそうです(中学生だからバリケードをくぐり抜けるのも簡単だったとか)。パトカーをひっくり返したり、公権力に対して、かなり手荒なことをしていたらしい話も聞きましたし、逆に、手荒なこともされていたようです。

音楽の世界に仕事で入ったのは、そんな頃だったようで、一番最初の仕事は美空ひばりさんのステージ袖に控えていて、ひばりさんが、ステージに出られるときに、マイクを渡す係だったそうです。タイミングよくマイクを渡すことが出来て、褒められた、と言っていました。レコーディングエンジニア、音響の道に進んだのは、そんなふうに最初の仕事が音響関係だったから…という理由で、その時に、舞台の仕事をしていたら、舞台の仕事についていただろうな、とも言っていました。

どちらにしても、表に出て何かをするというよりは、完全な裏方の人でした。

友達から借りたギターをこっそり売っぱらって旅費を作って(大げんかになったそうですが)ウッドストックに行った話や、あちこちのコンサートに忍び込んだ話も聞きました。言葉も出来ない状態で、NYのスタジオに入り込んで、文字通り仕事のノウハウを見て盗んでいるうちに、仕事をやらせてもらうようになったとも言っていた気がします。

自分のエンジニア、プロデュースの師匠はイギリス人のSteve Nye(スティーブ・ナイ)だとよく言っていました。この人はペンギン・カフェ・オーケストラのメンバー、プロデューサー。ペンギンカフェのサイモンは、藤井さんが京都時代にやっていたカフェに時々出入りしていたとも言っていたと思います。

スティーブに教わったことは、プロデュースするときに、プロデューサーの色が強く出るのではなく、アーティストが一番気持ちよく本人が表現したいことが素直に表に出てくるように、その環境を整えることだ、と。だから、アーティストが違えば、全く雰囲気の違うものになって当たり前だ、と、そんなふうに言っていました。プロデュースする、ということは、生半可なことではなくて、全方位に対して責任を追うことだから、そんなにたくさんやれることじゃない、これからの自分の人生の中で何枚やれるかだ、と、HaLoのプロデュースをすることになったときに言われました。HaLoのアルバムは"blue", "yellow"に藤井さんの名前がプロデューサーとしてクレジットされていて、"green"は途中になってしまいました。その後、何人かプロデュースする準備をしていたようでしたが、はっきりプロデュースした作品と聞かされたものはなかったので、HaLoが最後だったのかもしれません。

「色をテーマにアルバムを作りたい」初めて私がやりたいことを伝えた時は「意味が良くわからない」と言われました。直前に沖縄の座間味という離島に行って、その海を眺めていた時「見たことのない青だ!」と心を動かされ、自分の持つ「色」のイメージというのは「拡張するんだ!」という体験をしたのがきっかけで思いつき、東京に戻ってきて興奮気味に語る私の言葉は、感覚だけ並べ立てたものだったのかもしれません。自分の持つ色のイメージが拡張するということは、それぞれの人が持っている色のイメージは微妙に違っているはずで、それが違う国で、違う文化で生活してきた人との間だったら、重ならない部分がきっとたくさんあるはずだから、いろいろな国のアーティストたちと、その人達の持つ色のイメージを音にしてもらってアルバムを作りたい。色のグラデーションを音で表したい。私のこのイメージが伝わった時は、とても面白がってくれて、よしやろう!という話になりました。ほぼ時を同じくして、たまたま知り合った大手レコード会社のディレクター・代表取締役が、このアルバムを出したい、という話になり、本格的にアルバムの制作がスタートしていきます。その時には、既にblue, yellow, greenの三部作にする、ということまで決めていましたので三作セットでという話で進めました。

このプロジェクトの途中で、このレコード会社とはいろいろあるのですが、その話はまた別の機会にするとして、今は録音の話だけにしようと思います。

一枚目は沖縄の海でインスピレーションを受けた「青」にする、ということも決まっており、既に、アルバムのジャケット写真のイメージも私の中にありました。海で泳ぐ私のシルエットの背に太陽の光があって、それを下(海中)から写す、というものでした。海+太陽という自然物では、コントロールが出来ないから、プールを借りて撮るのではダメなのか?と言われましたが、私はダメだと。それが難しいかどうかよりも、表現したいものがあるわけですから、プールで人工灯で太陽を作った写真なんか、ありえないわけです。藤井さんとしても、プールでやろう!というよりも、私の意向の確認だったのかもしれません。そんなこともあって、そのジャケット写真をまずは撮影しようということで、座間味に飛んで撮影しました。(どんどん長くなるので、この撮影の話も、また別の機会にしますか…笑。どんだけ書く気やねん、と自分で思っています)

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このジャケット写真の撮影と平行して、blueでは、どんなアーティストとコラボするかという準備も進めました。blueなイメージのアルバムを何枚か勧められて聞いたり映画を見たり、この人はどうか、というアーティストの音源を聞かせてもらったり。フィンランドのカンテレというテーブルハープの音を聞かせてもらって、おー、これは是非blueに!と思っているタイミングで、各務、海老原夫妻のお宅にフィンランドのミュージシャンをマネジメントしているphillip pageが来ているということで会いに行ったり。思い出すとホントに色んな方たちに出会いをつないでもらいました。

そんなこんなで、だいたいやりたいメンバーが出揃って来て、そのアーティストたちに一緒に録音したいというラブレターを書いたり、説明するために撮影したジャケット写真を持って直接ロンドンのアーティストを訪ねたり、グラスゴーのフェスティバルに来ていたフィンランド勢に会いに行ったり、そんな準備に結構な時間を費やしました。そして、実際の録音も、一ヶ月半ほどの海外スケジュールの中で、ロンドン、ヘルシンキ(フィンランド)、ドノステア(バスク)でいくつかのセッションのスケジュールをパズルを組み合わせるように設定し、東京、クアラルンプール(マレーシア)の録音も組み立てていきました。連日、メールやファックス、電話でいろいろな人たちとやりとりを重ねた日々でした。

HaLoに関しては、ミックスは全て藤井さんでしたが、録音に関しては、世界のあちこちで録音する、というコンセプトだったこともあって、全てを藤井さんが録音したわけではありません。ただ、録音物の管理は全て藤井さんがやってくれ、一枚目のblueの録音時(1998年〜99年)は、まだアナログマルチテープを使用していましたから、テープの量・重さだけでも大変なものでした。私では片手で持ち上げるのが難しい重さの一本のテープに15分しか録れないので、本数も必要です。そのテープを何本も担いで、海外のスタジオを何箇所も移動するのは、大変なことだったと思います。それでも、タイミング的に一枚だけでもアナログ録音でアルバムを制作することが出来て、その体験が出来てよかったよね、と後から時々二人で振り返ったものです。

blueの録音はアナログで行いましたが、ミックスは、プロツールスというデジタルのミキサーの中で行いました。ちょうど、パソコンの中のソフトで録音とミキシングができる、そんなソフトが幾つか出てきたあたりで、私にはちんぷんかんぷんでしたが、よく他のエンジニアの人たちと、情報交換をしていました。その中で藤井さんが選んだのはプロツールス。blueのミックスと、それ以降の録音はプロツールスのお世話になることになります。

ミックスも、プロデュースの話と同じで、ド派手なミックスをすることはまずありませんでした。ボーカルをドカンと全面に出すこともありませんでしたし(これは、レコード会社と、ギリギリの交渉を要することもありましたが…)、耳に残すために神経に触れるような音の立て方をすることもありませんでした。そんな静かなミックスが私も好きでしたから、ミックスで意見が対立したり…ということは全くなく、まず藤井さんの考えるミックスが固まってきた段階で聞かせてもらって、私がもっと聞きたい所、もっと立体性がほしいところ、そんな微調整をやってもらう、そんな感じでミックス作業をしました。

マスタリングは、ロンドンのメトロポリスマスタリングというスタジオのTony Cousinsにお願いしました。この人は、藤井さんが自分でプロデュースした作品の仕上げをお願いする数人のマスタリングエンジニアの一人で、HaLoにはこの人、という感じで決めてくれました。それまで、マスタリングって何するの?という感じだった私も、トニーの手にかかる前のミックス音源(穴が空くほど何度も聞いている音)とマスタリング済みで返ってきた音の「輝き」の違いに驚いたものです。藤井さんも、信頼しているマスタリングエンジニアの手に最後を委ねることができ、返ってきた仕上がりに満足しているようでした。

録音に関しては、それ以前にも、移動できる録音機材を持ち込んで、響きのいいホールなどで録音していたようですが、そこからは、私のプロジェクトでも場所をスタジオと限らずに録音し始めます。私の場合、多かったのは、ミュージシャンの自宅。特に海外のミュージシャンの場合は、自宅が広く天井が高くていい響きだったり、周囲の音がほとんど気にならなかったり、リラックスできたり、録音終わってすぐにご飯作って食べられたり、スタジオバジェットが節約できたり、いろんな理由から自宅での録音も増えていきました。アルバムのための録音じゃなかったけれど、東京では、La Cana(下北沢にあるカフェ)でも録音させてもらったり、ロケーションレコーディングの思い出は、それぞれにたくさんあります。(それも、また機会があったら書こうかな…)

写真は藤井さんがスタジオ以外で録音するときに使用していたプロツールスのセット。(これは多分BOOMのコンサート録音@日比谷野音の時かな)これより後のセットがあるかもしれないけれど、HaLoの録音その他で私がずっと一緒にいた1999年~2005年頃使っていたのはこれでした。このPowerBookはもともと私のもので、状態が良かったので、録音専用として藤井さんの手に渡ったもの。

急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと01(出会い)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと02(生死に関わること)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと03(今現在)
急逝したレコーディングエンジニアの藤井暁さんのこと04(録音のこと)

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by ayako_HaLo | 2013-11-30 02:28 | friends | Trackback | Comments(2)
藤井さんはとても猫が好きでした。猫だけじゃなく、動物が好きだったのかもしれません。この話はまた改めて書こうと思っています。

ご自宅で亡くなった状態で発見されたので現在DNA鑑定中で、現在、藤井さんのお骨は世田谷区の豪徳寺の無縁塔というお墓の中に安置されているそうです。

豪徳寺といえば、招き猫。藤井さんも好きだったお寺で、私も一緒に行ったことがあります。大小様々な招き猫がものすごい数いるお寺です。そんなところにお骨が運ばれるように考えていたわけじゃないだろうと思うんですが、なんとなく、そこまで計画していたのかな…と思わせられる、そんな人でした。魂みたいなことは信じてなかったけど、信じる、信じないにかかわらず、もしかしたら今、身体から魂が抜けた状態でいるかもしれません。だとすれば、豪徳寺に安置されていることを喜んでいる気がします。自分が信じてないと公言していたくせに、まだお参りにも行っていない私を冷たい、と思ってるかもしれません。(ごめんね、そのうち行くね)

お問い合わせをいただいたので、「無縁塔というお墓の中に」という部分を追記しました。

写真は、沖縄で仲良くなった猫だと言って2008年5月に送ってきた猫の写真。珍しく自分の足が写り込んでいました。

急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと01(出会い)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと02(生死に関わること)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと03(今現在)
急逝したレコーディングエンジニアの藤井暁さんのこと04(録音のこと)

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by ayako_HaLo | 2013-11-28 03:32 | friends | Trackback | Comments(0)
藤井さんは、とにかく話をすることが大好きでした。(海外でも相当仕事をしていましたが、基本的に京都弁しか話さないので、海外の一部の人たちは、彼を寡黙な人だと思っているようですが、常に話したいことが満載の人でした。私とは時間を忘れて話し込んで次の予定に遅れそうになったり、電車の中で話し込んでいて、目的地で下車し損なったりはよくあることでした。ただ、彼の中に「寡黙な」部分はあったので、間違いとも言い切れないけれど)

トピックの幅は、もちろん一番多かったのは音楽関係の話だったけれど、それだけでなく、料理のことから、建築のこと、写真のこと、本のこと、デザインのこと、などなどのアート全般、科学、化学、宇宙のことなど理数系分野、そして、心理、社会学、民俗学、政治のことなど、文系分野のこと、その時に話題に上ったいろいろな話を、いつもいつもしていました。

自分の家系のことについても、何度か聞きましたが、大陸から京都に渡ってきた移民の末裔で、家系図で見るとずっと行李などを作る「箱屋」をやっていたそうです。藤井の藤の字は平安時代の京都の貴族、藤原良相(よしみ)って人から一字もらったらしく、それと箱屋の「井」を合わせて藤井なんだと言っていました。

日本に渡って来る時に、たくさんの馬や人が亡くなるような旅だったことが記録に残っているとも。そんな1000年単位の昔のことを、見てきたかのように話す人で、もう何十年もハサミを入れてない長い黒髪の風貌や、写真を撮られることをものすごく嫌がることとも相まって「きっと妖怪だから不死身だ」というイメージがありました。だから、こんなに急に逝ってしまうなんて、全く想像もしていませんでした。

写真を撮られるのを嫌がるのは、実はテレポート出来たり、複数ボディがあるので、時間と場所が特定されてしまう写真に残るとまずいのか、とか、そんな冗談も本人に向かってしていましたが、笑っているばかりでした。

あちこち仕事も含めて一緒に旅行に行ったのですが、その時に、死んじゃってもおかしくなかったということが二回ほどありました。

どちらも、仕事というよりは、撮影とか、打ち合わせとかにかこつけた、リラックスメインの旅だったのですが、東京にいるときに、殆ど寝ないような仕事中心の生活をしていて、それから、ぱっと開放されるため、体調を崩したのかもしれません。

一度目は、バリ島で。
彼は、幼少の頃(確か9歳の頃)、一人でガムランを習いにバリ島に行って、お師匠さんのところに住み込んでいたことがあったそうで、大人になってからもバリには何度も通っていたようでしたが、そのうちの一回に同行したことがあります。

ウブドにしばらく滞在したあと、アグン山の麓にあるグリアスマルンというバンガロー(http://www.geriasemalung.com/index.html)に入ってから、体調を崩し、高熱が出てうなされるような状況になりました。病院に行ったり、医者にかかったりすることを嫌っているのは知っていましたが、かと言ってそのままにするわけにもいかなかったので、現地の中国人のお医者さんに往診をお願いしました。

このお医者さん、バリ島の人たちからは、ほとんどお金を取らずに診療し、外国から来た人からは、ある程度の金額を得るという方針の方で、薬代も含めて、日本円で1万円ほどお支払いしたように思います。結構いいバンガローの一泊二食付きの料金が1,000円ほどだったので、結構な金額ですが、この方針を藤井さん自身はとても気に入り、元気になってから、いいお医者さんに出会えたと言っていました。

バリ島の民間療法的なことで、熱があるときは生のバナナの葉っぱを切り取って額に当てるといいと聞き、あててあげると、これは気持ちよかったらしく当てたままにしていましたが、別の「玉ねぎをすりおろしてその中にいろいろなスパイス(薬草など)を混ぜて、背中に直に塗る」というのは、予想通り嫌がってやらせてくれませんでした。

数日、高熱にうなされていましたが、なんとなく「この人は死なない」と思っていた部分もあり、ずっと側についていたって状況は変わらないだろうと、冷たく、外に遊びに出歩いていた私と違って、私たちがバンガローに到着する前日に迷い込んできた子猫は、ずーっと側にいてくれて、こっちの世界に引き戻してくれたとあとで言っていました。写真は、ブラン(インドネシア語で月の意味)と私が名づけたその子猫。青いブランケットの山は、実は初めて口外しますが、藤井さんの足です。(部分であっても写真を撮られるのをものすごく嫌がったので、めったに撮らないのですが、この写真は別格でした)
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この子猫ブランの写真は猫のポストカード集の中にも一枚収め、そして、一枚目のアルバムblue(http://amzn.to/1cl3OjZ)の紙ジャケットにも収めました。そして、同じアルバムにbulanという、この子猫のことを歌った曲も書いて収録しました。

あとで本人に聞くと、あっち行ったりこっち行ったり、生死の境をさまよっていたらしいのですが、ブランが引き戻してくれ、宿のスタッフに何とか車で空港まで二時間かけて送ってもらい、飛行機に乗って帰ってくることが出来ました。ほら、やっぱり死ななかった、という体験でした。

二度目は、中国の雲南省、昆明で。
こちらは、中国琵琶の名手、Liu Fang(https://www.facebook.com/liufangmusic?fref=ts)の故郷。しばらく前に出会って仲良くなったLiu Fangが現在暮らすカナダから、実家の昆明にしばらく帰省すると聞いて、そのタイミングに、共通の友人のJing Yuと二人で押しかけました。

Liu Fangの旦那さんのRishengとJingと私の確か三人で、雲南省をあちこち旅行をしてから昆明に戻ってきたところに、藤井さんが合流してきました。Liu Fangのお宅でのホームパーティまでは参加していたような気がしますが、その後倒れ、ホテルの部屋で高熱でうなされることになりました。意識も朦朧としている状況だったので、まずは、ホームパーティに来ていたLiu Fangのお知り合いの漢方の気功のお医者さんにアポイントを取って診てもらい、土瓶で煎じて飲む漢方の生薬をどっさりいただきました。その上に、西洋医学の病院でも診察してもらい、そっちのお薬もいただき、ホテルの部屋で静養することにしました。漢方の生薬は一体何が入っているのか、私なんかには全く分かりませんでしたが、なんだかすごそうな薬だ、という匂いがしていました。毎日Liu Fangの実家で煎じてもらってはポットに入れてお部屋に届けていましたが、かなりの量が入っていたため、夜、ポットを取りに行くと、まだ残っていることがありました。ある日、どんな味の、どんな薬か興味があった私と友人のJingが一口ずつ飲んでみたら、一気に体がかーっと熱くなり、酔っ払ったようなトリップしちゃうような、そんな薬で、二人で部屋でハイになった記憶があります。

そんな薬を飲んだおかげか、この時も、無事に藤井さんはこっちの世界に戻ってきました。あとで聞くと、私たちがこっそり飲んだあの漢方の生薬の薬のお陰で(すごい強い薬だった、と)、いろんな世界を見てきたと言っていました。この時も、ほら、やっぱり死なない、という経験を重ねたことになりました。

どっちの経験を経ても、本人は「誰しも死ぬときは死ぬんだし、死んじゃったらそれでおしまい」そんな風に言っていましたし、死んだあとの世界はないと考えているようでした。また、死ぬときは、ちゃんと準備しておいて阿片窟に入って死にたい、とも言っていましたが、「そんなにうまく希望通りに行くわけないじゃん」と私がいつも言っていた通り、実際には、阿片窟に入る願いは叶わなかったみたいです。

それでも、最後まで自分の部屋で大好きなMacの中で録音データを編集作業している時に、おそらく何らかの発作が起こり、そのまま横になって眠るように安らかに旅立った様子だったと聞き、かなり本人の希望通りだったように思います。ただ、ちょっと早すぎたし、突然過ぎたよね。

急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと01(出会い)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと02(生死に関わること)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと03(今現在)
急逝したレコーディングエンジニアの藤井暁さんのこと04(録音のこと)
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by ayako_HaLo | 2013-11-26 01:50 | friends | Trackback | Comments(0)
11月21日にご自宅で録音データの編集作業をしつつ横になった状態で亡くなっているのが見つかったレコーディングエンジニアの藤井暁さんのことを何か書こうと思って数日が経ちました。

お一人の部屋で亡くなったので、現在、身元確認が行われている状況ですが、かなり親しかった私でさえ、亡くなって初めてお会いした妹さんとのDNA鑑定を待っているところです。落ち着いたら何らかの偲ぶ会を持てたらと思っています。

ものすごく長い時間一緒にいたので、思い出されることが多すぎて、何をどう書いていいのか、まだ全くわかりませんが、思いつくまま、時々書いてみるのがいいのかもしれないと思っています。

初めて会ったのは、1994年頃だったでしょうか。
私が時々アルバイトで「仮歌」の録音に入るスタジオで、そのスタジオのオーナーの津田さんが自分でエンジニアに入れない時に、友人の藤井さんにピンチヒッターを頼み、時々顔を合わせるというそんな出会でした。私はまだ大学生。自分の歌が「録音」という形に定着すること、それだけでも嬉しい時期でした。録音の合間に藤井さんとはよくMacの話をし、ちょうど私が卒論を書くのに、初めてMacを自分用に購入しようというタイミングだったので、いろいろ相談に乗ってもらって、パフォーマという機種を購入しましたし、入れるソフトもいろいろと面白そうなものを教えてもらいました。そこから私のMacとの暮らしも始まります。

その後、私は「仮歌」の音源が元になって、ファンハウスという大手のレコード会社からデビューしたのですが、その後、レコード会社が別の会社に買収され、私も契約解除になりました。そんなタイミングで、友人のライブを聞きに行った会場でたまたま藤井さんに再会します。しばらくぶりにお会いして、近況を報告し、モヤモヤしていたものをぶつけたら、日本の音楽の制作の現場だけ見てないで、他にもいろいろあるのを見て、体験したらいい。近々、ロンドンでプロデュースするアルバムの録音があるから遊びに来る?と誘ってもらったので、二つ返事で行くことにしました。それからが、藤井さんとの親しい付き合いの始まりでした。

お邪魔させてもらった録音の現場は、nanacoさんのアルバム制作。スタジオで、ミュージシャン達が、録音する曲についていろいろと話をし、じゃ、こうしよう、と決めたところで録音スタート、みんなで聞き返して再度録り直したり…そんな現場に目からウロコの毎日でした。それまで自分が関わっていた現場は、私の介在は限られていて、音源が出来上がったところに、私が歌を歌い、歌のテイクがOKかどうかも、私自身の判断ではなく、ディレクターがいいと思ったところを繋ぎあわせて一本にするようなそんなところだったので、180度違う世界でした。目の前の視界がさーっと広がったのを覚えています。出てくる音楽もカッコ良かった。録音の現場に、良く訳のわからない私みたいな人間が存在していることを許してくれたnanacoさんにもとても感謝しています。

nanacoさんの写真も素晴らしくて、自分もシャッターを押してみたくなり、その頃からどっぷりと写真を撮るということにハマっていきます。藤井さんにはいろんな写真展にも誘ってもらったし、カメラも貸してもらってたし、あちこち撮影にも行きました。写真関係では、面白いフォトグラファーがいる、ということで、岩根愛ちゃんを紹介してくれ、とても仲良くなって、それからずっと私のアーティスト写真類は愛ちゃんが撮ってくれています。この出会いも藤井さん。

私が英語が出来たこともあって、その後、藤井さんが関わっていて、英語の通訳があったほうがスムーズな現場に、どれほど一緒にいたか知れません。通訳やコーディネーションなどで、数々のスタジオ作業を共にしました。
敬称略、順不同で、
Ray Kane
Elodia Kane
山内雄喜
Bob Brozman & 平安隆
宮沢和史 & Arto Lindsay
ハンバートハンバート & ハウゴー&ホイロップ
Maria Karaniemi, Timo Alakotila, Olli Varis 東京公演
 後にTokyo Concertとしてリリース
フリーフォート東京公演
BS朝日制作のハワイのドキュメンタリー2本

本人に会うわけじゃないけれど、メールのやり取りの翻訳を間に入っていたものもたくさんありましたし、他にもいっぱいあったと思うんだけど、あんまりたくさんあって全部覚えていません…。思い出したら加筆します。

仕事としてじゃなく、この人面白いよ、このライブ見ていたほうがいいよ、というライブや録音にもあっちこっち連れて行ってもらっては、紹介してもらい、中にはその写真を撮らせてもらうってことをどっぷりやっていた時期もあります。いつかHaLoで一緒にやれたらいいね、ってたくさんの素敵な人たちを紹介してくれました。

直接紹介してくれて、HaLo関係で直接的に既にお世話になっている人たちだけでも(上に重複する人たちを除いて)
北中正和
TOMKEM
野村弥生
Louis Philippe
鴨宮諒
クリストファー・ハーディ
田村玄一
Danny Cummings (Dire Straits)
Alan Clerk (Dire Straits)
吉川忠英
松永孝義
土屋玲子
松浦有希
駒沢裕城
関島岳郎
野沢ケガニ秀行 (サザン・オールスターズ)
Taka & Mari (TamTam)
中川イサト
松田幸一
中川五郎
大須賀猛
劉以達
Danny Thompson (ex. Pentangle)
John Renbourn (ex .Pentangle)
坂東次郎
宮武希
大熊亘
川口義之
高田漣
長田進
吉野友加(tico moon)
影山敏彦(tico moon)

まだ抜けている人がいるかもしれないから、それは加筆することにして…。そして、ここから更にその人達が紹介して引きあわせてくれた人たちがものすごい数いるから、元をたどると…という人たちは数え切れないし、まだ共演が実現していない「いつか是非…」と言っている人たちもたくさんいます…。

なんか、どれくらいの長編を書くことになるんだろう…という気もしますが、まずは出会い編ということで、一旦区切ろうかと思います。

メールソフトの振り分けに個人名としては唯一「藤井」というフォルダがあることに気づきました。そんだけやりとり多かったんだなあ。

写真は肌身離さず連れて歩いていた、くまっち。2013年の2月に送られてきた写真。タイトルは雪のくまっち。

急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと01(出会い)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと02(生死に関わること)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと03(今現在)
急逝したレコーディングエンジニアの藤井暁さんのこと04(録音のこと)
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by ayako_HaLo | 2013-11-25 03:05 | friends | Trackback | Comments(0)

ハワイの父が逝く

私は実はalohalani(アロハラニ)というハワイアンネームを持っている。
意味は「天国からの愛」。

名付けてくれたのは、オアフ島、ナナクリに住む
ネイティブハワイアンのミュージシャンである
レイとイローディア・カーネというご夫婦。

二人とは、10年以上前に、レイと山内雄喜さんのジョイントアルバムを
録音するときにハワイのスタジオの中に、通訳兼写真を撮る目的で
居させてもらったときに初めて会った。
http://www.alani-aloha.com/alani_cd9.html

溶接工をしていたときに吸ってしまったアスベストのせいで
肺の機能が半分以下になり、
酸素ボンベなしでは呼吸が苦しい状態のレイを
奥さんのイローディアが車に乗せてホノルルのスタジオまで
連れて通って来てくれた。

この録音に行くまで、実は、
私のイメージのハワイアンミュージックっていうのは、
エレベータの中や、どっかの街角で
「鳴っていても鳴っていなくてもかまわない」
エレベータ・ミュージックの代表みたいな存在だった。

それが、このときのスタジオの中で音楽を聴いたときに、
なんてものすごい間違いのイメージを抱いていたんだ!
という衝撃だったんだよね…。

心からスイートで、メローで、オープンで、
暖かくて、悲しくて、まさに「アロハ」だった。

何度、スタジオの中で涙したことか。
何度、スタジオの中で眠りにつかせてもらったことか。

ハワイアンネームをもらったのは、
その数年あとのこと。
別の録音の通訳&撮影、雑誌の通訳&撮影、
ドキュメンタリーのコーディネーション&通訳を重ねて、
関係が深まり、「娘」にしてもらった。

レイはいつも冗談ばっかり言っている父ちゃんで、
時には「髪の毛がボサボサだ」とか
「なんで早く子供を産まん?!」とか
叱られたりしたけれど、本当に愛情を注いでもらった。

2枚目のアルバム"yellow"の中では、
ハワイでの「親子」共演も果たした。
公式にリリースされている音源としては
もしかしたら最後になったのかもしれないな…。

2月27日レイ・カーネ逝く。
実はまだイローディアに電話を出来ずにいる。
いつも電話をかけると「アローハ!」と声をかけてくれたレイは
もう電話に出てくれることはない…。



今日、レイを偲ぶライブが都内で行われる。
ちょうどミーティングの時間とかぶってしまっているので、
全部出る訳には行かなさそうだけど、
リハーサルででもいいから、一曲、
レイのことを思いながら歌って来れないか、と思っている。

レイ、アローハ!

http://www.leilandgrow.com/leilandgrow/liveevent2.html

2008年2月27日に、ハワイアンミュージック界の偉大なレジェンド、
Ray Kane(レイ・カーネ)氏がお亡くなりになられました。
スラック・キー・ギターの名手の功績を讃え、
哀悼の意を捧げる追悼ライブを開催いたします。

入場は無料ですが、ドネーション・コー ナーを設置しておりますので、
是非ご協力下さい。ライブで集まったド ネーションは、
山内雄喜氏を通じてRay Kane氏のご家族にお渡し致します。


◆日時:2008年3月10日(月)  open.18:30 / start.19:30
◆会場:渋谷 クロコダイル
◆演奏:当日はご自由に演奏して下さい。ステージ上の機材はボーカルマイク3本、DI3個です。
  ※演奏ご希望の場合は事前にお申し出下さい
◆入場料:無料(ドネーションにご協力下さい。ドネーションは山内雄喜氏を通じてRay氏のご家族にお渡し致します)

□発起人:山内雄喜、ALANI ALOHA SOUND、デビット・スミス
□お問い合わせ:レイランドグロウ info@leilandgrow.com
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by ayako_HaLo | 2008-03-10 00:50 | friends | Trackback(1) | Comments(0)

父の個展(油絵)

最後に父が個展をやったのは、たぶん私が小学生の頃。

佐賀市の喫茶店での個展で、
部屋の突き当たりに飾ってあった
夜明けらしき地平線に樹が二本だけ生えている画がとても好きで、
「もしも売れなかったら私にちょうだい」
とお願いしたのを今も覚えてる。

じっと見ていると、少しずつ空が明るくなっていくような
そんな錯覚を覚える画だった。

幸運なことに(笑)その画は売れず、
(まさか、私のために売らなかったってなことはないよな、
と今になって思ってみたり)
今は実家の私のピアノの上の壁にかかっている。

その父が久しぶりに佐賀で個展をやるらしい。
全く知らなくて、年明けに聞かされた。

1月23日(火)から28日(日)。
高伝寺前 村岡屋ギャラリーにて(佐賀市本庄町)

そんなわけで、これに合わせて23日ー1日佐賀に帰省する予定。

「帰ってくるって言うから
毎日会場で受付とお茶汲みをしてくれるものだと思ってた」

とオヤジ殿は言うけど、

「まさかそんなに忙しくはないから自分でやれるでしょ!」

と反論中で、でも、もしも万一忙しかったら手伝う予定。
どんな画たちなのか、まったく知らないので、
私自身見るのは楽しみ。0号〜150号まであるらしい。

もしもどなたかいらっしゃるようだったら、
その日はいるようにします。ご連絡を。
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by ayako_HaLo | 2007-01-12 21:47 | friends | Trackback | Comments(2)
b0024339_2104475.jpg1999年、ひとりのニッケルハルパ奏者が来日し、スウェーデン大使館で演奏した。1枚目のソロアルバム”angel archipelago(試聴あり)”(ワーナーから『天使の島々』というタイトルで日本盤も出たけど日本盤は廃盤みたい)をリリースしたばかりのJohan Hedin(ヨハン・ヘディン)だった。

このとき幸運なことに私はその場にいて、間近に演奏を聴くことが出来た。そしてニッケルハルパというそれまで見たこともない不思議な楽器のルックスと微妙な響きを持つ音、ヨハンの演奏に全くヤら れてしまった。低音弦(ドローン)と共鳴弦が鳴り、メロディー弦が自在に奏でる何とも言えない気持ちのいい音の広がり。

翌日のインストアライブにもくっついて行き、その場で、将来自分の録音に参加して欲しいと言うプロポーズまでしてしまった(翌年には実現!"yellow"収録の6曲目「晴れますように」ではNyckelharpa(ニッケルハルパ)を演奏してくれているしまた、一曲目の「川」(全曲試聴あり)は上記のアルバム”angel archipelago”に収録されているヨハン作曲の"staden"に詞をつけさせてもらったもの)。

そのヨハンがこの秋、二度目の来日を果たす。84人しか入らない響きのいい小さなホール。マイクを通さない完全な生音。7年前の私みたいにヨハン・ヘディンの音楽に恋をする人が現れるんじゃないかと思っている。

座席がホントに限られている(84席!)ので、お早めにご予約を。私は企画協力をしていて、ここしばらく頻繁にヨハンとのやり取りをしていて嬉しい。当日は、ステージでヨハンの通訳を少しだけやる予定。(この文章はチラシに使用する(のかな)の文章に少し手を加えました)

ニッケルハルパについては、また機会を見つけて書こうと思う。

ーー以下、転送大歓迎(興味ありそうな人にお早めにお知らせ下さい)ーーーー

ヨハン・ヘディン “ニッケルハルパ ソロ・コンサート&ワークショップ”
     Swedish folk music from the baroque until today 
   〜スウェディッシュ・フォーク バロックの時代から今日まで〜
スウェーデンで最も優れたニッケルハルパ奏者の一人、そしてBazar Blaの中心的メンバーとして知られるヨハン・ヘディンが来日。松明堂音楽ホールで一回きりのソロ・コンサートとワークショップを行うことになりました。

出演:Johan Hedin(ヨハン・ヘディン):ニッケルハルパ 
http://www.johanhedin.com/
日時:2006年10月28日(土)開場:14:30 / 開演15:00
会場:松明堂音楽ホール(新所沢駅東口下車)http://www12.plala.or.jp/shomeido/
料金:前売り3,500円/当日 4,000円(税込み)全席自由 ※整理番号順のご入場
演奏予定曲:Innersta polskan / Johan Hedin ,バロック風ポルスカ / trad.
お問い合わせ・チケット取り扱い:音楽を聴く仲間の会
             080-5429-9669 frifot2007@yahoo.co.jp 
★午前中に15名様限定でワークショップを行う予定です。
詳細はこちら→ http://blog.goo.ne.jp/nakamanokai/d/20060723
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by ayako_HaLo | 2006-08-04 21:07 | friends | Trackback(2) | Comments(8)
b0024339_2227625.jpgブログ/mixiの繋がりでご自宅で取れた花梨とはっさくを送っていただいた。送ってあげると言ってくださって、お願いしたのは花梨だけだったのだけど、結局「それでは〜」とおっしゃってこんなにきれいなはっさくまで。まだ花梨ハチミツも仕込んでないけれど、一個目のはっさくをいただき始めた。外の皮は冷凍保存し、中の袋、種、実はそのままごりごり食べているところ。すっぱいけれど元気な味。メールで花梨は小さいですよ、と言われていたけど、送られて来た花梨が小さくてびっくり。この間花梨の自家製酵母について書いた時に使った花梨は大きなリンゴ大の大きさだったのだけど、今回送っていただいたのは、写真で見ても分かるかも知れないけれど、小さなみかんの大きさ。こんなに小さな実をつけることもあるんだね〜。可愛い。どうもありがとうございました!

このパッケージを受け取って、思い出したのは、去年mixiで繋がったTABUCHI masayaさんから送っていただいたかぼちゃのパッケージ。b0024339_23243790.jpg自分が育てたかぼちゃを買いませんか?という告知がmixiに出ていたので、送っていただいたのが確か2005年の11月半ばのこと。これで2600円のパッケージで、やっぱりこの時もおまけに柿を同封してくださった。緑色のかぼちゃが「坊ちゃんかぼちゃ」で男の人の拳大の大きさだから、菊かぼちゃも、雪化粧もかなり大きい。ブログを見るとかぼちゃは無事に完売したようだ。送っていただいたかぼちゃのいくつか(日本栗かぼちゃとバターナッツと恐らく雪化粧)は種取りして来年栽培することも出来るってことだったので、食べるのを楽しみにしながら、同時に種も大事に乾かして使用済み封筒に貯めている。一粒で二度美味しい。うまく行ったら毎年美味しい話。順番に食べているけれど、まだ何個か残っているから、かぼちゃは保存もきく。秋に収穫してから半年ほったらかしで保存が出来る作物っていうのも素晴らしい。今年はかぼちゃも育てたい。夢は広がるなあ。

かぼちゃの種欲しい人、少しずつあげますよ。

そう言えばどちらも三重からの贈り物だなあ。
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by ayako_HaLo | 2006-02-28 23:39 | friends | Trackback | Comments(15)
ギタリストのJohn Renbourn(ジョンレンボーン)とWoody Mann(ウッディマン)が来日している。

私は昨日、吉祥寺のスターパインズカフェでのライブに行って来た。

TABギタースクールが主催したコンサートで、TAB主宰の打田十紀夫さんの軽快なおしゃべりとギターの演奏の後、Woodyとのジョイント、Woodyのソロ。出て来ていきなり、ギターストラップを体につける為に、エレアコのピンプラグを抜いて「ボンっ」という音が出た。日本のギタリストたちは、プラグを抜き差しする時は「抜くよ〜」と一声かけてから抜き差しする。ボリュームが上がった状態で抜き差しすると今回のように大音量の「ボンっ」がスピーカーから出てしまうからなんだけど。(私の周りにいる人たちが細やかなだけ?)ウッディがあまりにも普通に抜いたので、「これは異文化での違いかな?」とも思った。もしかしたらアメリカでは(ウッディはNY出身)、ギタリストが構えるまでPAのフェーダーは上げてない?もしくはスピーカーが「ボンっ」っていうのを全く気にしない?ウッディがたまたま忘れた?ウッディのギターの音色も独特。何と言うかオブラートに包んだような柔らかい音がする。

ウッディの演奏で一部は終わり、二部は頭からジョンが出て来て演奏。エレアコになっていないアコースティックギター一本だけでステージに上がり、曲ごとにごしょごしょと次の曲の説明を加えつつチューニングを変えて演奏をする(マイクのある位置はおかまいなしなので、後ろにいた私のところには聞こえたり、聞こえなかったり…。高田渡さんもそんな感じだったなあ)。

ジョンのギターはやっぱりいいなあ。ギターという楽器自体も好きだけど、やっぱりエレアコよりもアコースティックギターをマイクで拾う音の方が好きらしい。そして、オープンチューニングの方が好きらしい。まぁ、でもそんな細かい要素よりもジョンのギターが好きらしいっていうのが一番正しいのかとも思うけれど。

ジョンと二人だけで録音した"green"に収録予定の曲。早くお聞かせしたいです…。

12月6日(火)までのコンサートツアーの詳細はこちら
   11/29(火)  東京 Star Pine's Cafe
   11/30(水)  横浜 Thumbs Up
   12/2(金)  大阪 Banana Hall
   12/3(土)  名古屋 Tokuzo
   12/4(日)  東京 Star Pine's Cafe
   12/6(火)  東京 Back In Town

前売り6,000円とちょっと高いけれど、ジョンのコンサートを生で見られるチャンスがこれからあとどれくらいあるか…と考えたら、私は行かずにはいられなかった。

終演後に少しだけ話も出来て、滞在中にもう一回くらい会ってランチかお茶でもしようね!と別れて来た。久しぶりに会うチャンスをくれたTABや打田さんにも感謝。
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by ayako_HaLo | 2005-11-30 10:52 | friends | Trackback | Comments(6)