制作プロジェクトHaLoを主宰するayakoが、音楽、写真などHaLoとしての活動について、また、mac、旅、映画、本、猫、食べ物、気になったニュースなどについて、徒然に綴ってます。


by ayako_HaLo
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カテゴリ:thoughts( 31 )

大地震の後の一ヶ月って、本当に生存本能で生きてきたなあ、と思う。
個としての自分自身の生存本能とともに、
恐らく種としての生存本能。
どうやって生き延びるか。

頭をフル回転させながら「学び」「考え」てきた。

そんな中で、すっぽり欠け落ちていたのは、
ゆっくりと自分の身体感覚に時間を使うこと。

揺れが続いているから、お風呂も前ほどゆっくり入ってないし、
あの日の前はずっと続いていた「ストレッチ」も中断したまま。

体のあちこちが固まっていて、
ギシギシいっているのを知りつつ、
そこに焦点を当てて、広げたり緩めたりしていない。

頭と心(特に恐怖)に乗っ取られた感じ。



おととい、つくばで友人が開催しているアートワークに出てきた。
自己調整法、という自分を自分で調整するための
佐々木なおみさんがリードするアートワークだった。



つくばの公園内の小さな森の中を歩く。
頭を使わないで、自分が身体感覚のうち
どこで何を感じているのか、感じていることにフォーカスして、
どの感覚で何を捉えているか、
という指示のもと。

人間の身体に働く感覚
聴覚
視覚
嗅覚
味覚
触覚
生命感覚
運動感覚
平衡感覚
熱感覚

を意識してみる。

まず、この一ヶ月、自分の身体感覚を中心においた
時間の使い方を全くしてこなかったことに気づいた。
身体は置いてきぼり、後回し。

それを全面に持ってきてみたら、
なんと、感覚の違うことか。

無意識にシャットアウトしてきたことが
いっぱい起こっていることに気づく。

特に、身体の中心がぎゅーっと固まっていて、
痛いくらいになっていた。
太陽の日差しのもとにしばらく
その感覚を味わってみると、
今度は、身体の外側は、その光・熱に向かって
溶けていくような感覚。

あとは、拾いたいと思って拾ったものが二つ。
松ぼっくりと杉っ葉。
どちらも柔らかくて気持ちいいというタイプの物じゃなく、
手で触ってある程度の硬さ、反発を感じ
握りしめると痛いかもしれないもの。

触覚を欲していたんだと思う。

あとで解説の中で出てきたんだけど、
触覚というのは、
それを通して自分というものを感じやすいから安心する
というタイプの身体感覚、と聞いてガテンがいく。

私、安心したいと思っている。
何かちゃんと掴んでいると分かるものを掴んでいたい。


まあ、もっといろいろなこと、
思考にすぐに直結する感覚があることなども自覚しながら
いろいろなことを身体で感じてから部屋に戻る。
そして、感じたことを紙に色鉛筆で表す。
裏に文字で表す。

私たちを取り巻く「外界からの刺激」を
私たちの「身体に働く感覚」で受け取り、
それを「自分の記憶と照らし合わせたり、
考えたり」してつなげる
その自分の世界、世界観が、
また外界につながっていく

外界からの刺激

身体に働く感覚

自分の記憶と照らし合わせたり考える:自分の世界、世界観

外界からの刺激

身体に働く感覚

というサイクルが回っている・循環している。

ここ一ヶ月の私は、感覚を離れて、
「自分の記憶と照らし合わせたり考える」というところから
一歩も動かず、循環していなかったことに気づく。

そのちょっと前の自分も、
また全然別の自分ではどうしようもないことで、
相当、鬱々としていたから、
その時も、この自分の中で考えるところにとどまり続けていたんだろう。

元気なときの私は、このサイクルの中を
自由に動き回る。ぐるぐる回っている。
その回る状態を取り戻す、ということが
今の私にとって、
一つの方向性だということがわかったワークだった。


あとは、このワークを通じて、
元気なときには
自分の感覚で外界を捕まえて
それを自分の中に取り入れることをしていたらしい私は
自分の感覚に触れない「放射能」の存在を
とてもとても気味の悪いもの、怖いものとして
捉えていることも自覚した。

一方、今回放射能がクローズアップされたけれど、
実は、私たちの気づかないところで、
気づかないように、私たちに影響を及ぼしているものも
きっとあった、現在進行でも「ある」はずで、
そういう「感覚にひっかからないもの」に
どう感度をあげるのかっていうことも
私としてはやってみたい、とも思った。
書いてて、そんなこと出来るのか?と思いつつ。

でも、きっと
化学物質過敏症の人たちだけが感じてしまう
そこらへんにある化学物質だって、
電磁波を感じる人達が感じちゃう電磁波だって、
マスコミから流れてくる「消費は美徳」光線だって
サブリミナル効果だって
洗脳だって
気づく人もいれば、気づかない人もいる。

放射線自体だって、実は、コンクリートの中に含まれている
砂の種類やその量によって(花崗岩に多いらしい)、
場合によっては木の家に住むのと
コンクリート打ちっぱなしに住むのでは、
相当、違う放射線量を浴びることになるっていうのだって
今回、放射線のことを調べたりしなければ
知らなかった。

これまでだって、ずーっと、そういうものは周りにあった。
そこに「ある」ってことに気づかなかったものは
怖くはなかったんだよなあ。
わかってしまうと怖いのに、ね。

そして、中途半端に分かっているのが、たぶん一番怖い。
別の言葉で言うと、怖そうなのは分かっているのに、
どういう風に怖いのか、どの程度怖いのかっていうのが
分かっていないのは怖い。
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by ayako_HaLo | 2011-04-14 22:07 | thoughts | Trackback | Comments(0)
これまで、ただちに健康には害がないとされて、
使用を認められてきた農薬や化学肥料を使うこと
単体でも、また、それらの複合効果(害)にも疑問を持っていた。
そういうこともあって
自分自身が気持ちよくて
土や野菜自体が健康で、
洗わなくても皮ごと食べられる野菜を育ててきた。

規模は小さくても、うちに遊びに来る人達をもてなしたり、
うちから時々贈り物をしたり
物々交換に出したり、
近所の有機農産物の直売所にたまに出す程度の規模で
自分的にも環境的にも持続可能な農的暮らしを目指してきたし
今の経済の仕組みのままで
エネルギー的にも食料的にも、
世界の他の国の人達の労働力を安く使うような仕組みでいいのだろうか、とか
いろいろなものをゴミにするシステムでいいのだろうか、
ということや、
何を一番大事にしたいのか
どういう状態がしあわせなのかということを考え、
自分なりにやれることをやれる範囲で試行錯誤しながら暮らしてきた。

東京を離れて、どっぷりそんな暮らしが5年くらい。

地産地消で地域のものをいただくこと、
身土不二で、体と土は分かちがたいものとして
季節のものを、その季節にいただく。
畑でもできるだけ石油資材を使わずに、
年に数回刈払機のお世話になる程度で、
あとは、鍬と鎌、手と足で、
耕さず、草と虫とも共存して
畑の命の営みの中に自分が入れてもらうような態度で
少しずつ実験をしてきた。

暮らしもできるだけ電気も石油資源も使わないで済むように
ホウキと雑巾を使い、
使い捨てのものを極力使わず、
いろんなものを一つの役目が終わっても次の役目で活躍できるようにデザインして
夏には窓辺にグリーンカーテンを這わせ
扇風機だけでクーラーを入れなくなって10年くらいたつし、
冬の夜には雨戸をきっちり閉めて
家の中でも相当着込んで暮らしてきた。
(それでも茨城の冬は寒くて暖房入れてたけど)

自分の畑の中でどんなに気をつけても
よそから飛んでくる除草剤や農薬は防ぎようがないから、
それは受け入れることにしてきたし
それでも、自分のところが使わないことには意味があると思ってきた。

今回の放射性物質に関しては、
実はまだ自分の中に明確なスタンスが定まっていなくて
明らかに二つの声があるのを感じている。

自然農の方が気持ちいいから、という理由が一番大きかったにせよ、
因果関係が完全に証明できずとも
状況的に、そこには問題点があるのだから、
(化学物質過敏症やアレルギーの人たち、環境への検査できない影響など)
化学物質の使用をできるだけ控えたいという思いもあった私には、
今、急に、政府が基準値を設定して大丈夫だと言っているから、
〇〇の数値以下であれば大丈夫のはずだ、
という風に言い切ってしまえない自分がいる。

個人的なことで言えば、今の畑と付き合いだしてそろそろ3年、
近所に友人や仲間たちも増え始め、
春に種を下ろすための準備も始めていたところで
今回の放射能問題。

放射性物質の飛散のもっと少ないところに場所を変えましょう、と、
土地に対して日も浅く、最小規模の私でさえ、言ってしまえないのに、
うん十年と、大地に深く根をはって
畑と野菜と食べる人たちの健康、地域のことを考えて暮らしてきた
ほとんどの一般の農家、有機農家のことを考えたら
そこで育てたものを食べてもらえない悲しみは想像を絶するし、
そこからの移動なんてすぐに考えられないだろうと思う。

そんなこと考えてたら、
政府の出した暫定基準値に満たないものは
風評に惑わされずに食べてください、
これまでだって、農薬を使用したものだって
政府が安全というものを食べてきたんだから
同じでしょう、と言いたくなる自分もいる。

この二つの声は対立しているんだよね。
心のなかで。
自分が育てた野菜を使って天真爛漫に喜んでもらえると思って
プレゼントしたり、もてなしたりすることへのブレーキ感。
相手が見える分、相手の気持ちに何が起こるだろうと思うと
大きなブレーキ感がある。
私が食べるんだから、食べてね、とすっきり言えない感じ。

この葛藤は有機農家も抱えているのじゃないかと想像している。
だからこそ、サポートしたいと思ったのだけど。

一方で、もう、これはどうしようもないことなんだから、
隣の畑から飛散してくる農薬と同じ、と
ひょいっと割りきって欲しいとも思っている。
私としては、そっちを後押しする方がいいんだろうな。


で、じゃあ、どうしようか、
ということなんだけど、そのどうしようか、の部分が
昨日書いた
規定値以下は覚悟決めて食べることでのサポートしましょ、と
そうでなければ、食べなくても
また、身を切られながら移動せざるを得ない人たちをサポートしましょ、の話。
http://fromayako.exblog.jp/15137626/

本人たちが今、何を考えどういう状況にいるのかわからないから
どうしようか、と思っていたのだけど、
知人友人関係で動いてみようと思う。

これは今後、漁業関係者にも広がっていくこと。
働けることで働いてサポート態勢つくらなくちゃ、と思う。
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by ayako_HaLo | 2011-03-31 21:24 | thoughts | Trackback | Comments(5)
戦争の時も、薬害の時も、水俣の時も
国はひとりひとりの国民を守ってくれなかったし、
私たちを守ってくれる存在じゃない、
という風に思っていた。

それはある種の不信感としてそう思っていた。

結論としては変わらないかもしれないんだけど、
今回、こんな非常事態下に自分が身をおいて、
少しだけ考えが変わってきた。

大きな組織になればなるだけ、
そこに属する人たちが増え、
その人達の未来のことを考える必要が出てきて、
個人のような動きはできないのかもしれない、ということ。

ぼちぼち今回の震災の被害総額が出てきたけれど、
もう私には良く分からない数字になってきてる。
ただ、巨大な数字であるということはわかる。

国が強制退去、室内退避という指示を出した地域に関しては
のちのち、東電なり、国なりの補償の問題が出てくると思う。
国としてその範囲を広げる決断はとても大きい。
それも何となく肌で感じた。

憲法25条で定められている「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は
保証するということなのかもしれないけれど、
将来的に生じる「かも」しれない事態の回避と
将来的に必ず生じる資金のことも念頭に入れた
経済的な面も含めて考え、国全体として潰さないこと
を考えるだろうな、と思った。

これは、企業についても全く同じことが言えるだろうと思う。

特に大きな組織にとっては、潰さないこと、は
かなり大きなプライオリティを持つだろう。

だから、国がやっていること、発表している内容は、
  この期に及んでもまだ利権や保身を含んでいるかもしれない
  ということを横に置いておいても
その他の大きなバランスの上で、
迅速な動きを不得意とする組織の決定として
一旦、受け止めている。

でもきっと大事なのは、
私達自身が変わらなくちゃいけないってこと。

国が言っているから大丈夫、
大きな企業が言っているから大丈夫
という変な信頼は、
裏をかえせば、
何かあったら裏切られたと大騒ぎ、ということにつながる。

彼らが優先しなくてはならないことの仕組みが何となく見えたから、
私たちは、私達自身でそれ以上のことを考え、
何を調べ、判断材料にするか、ということを
「みんなで」やる必要があるんだ、というところにたどり着いた。

国や企業がやれること、やってくれていることも大事。
でも、私たちが自立することもとても大事。

これまで私は
不信感があったから、自立しようと思っていたけれど、
今回のことで、
守備範囲が違うから自立しようという感覚に変わった。

そして、ここ数日ずっと「転んでもただでは起きない」
という言葉が頭をめぐっている。

すごく痛い、涙が出るけど、
起き上がるとき、私たちは前の私たちではない。

無理やり壮大な人体実験室に入れられた感覚があるけど、
その中に留まることを自ら選んでいる、選ばざるをえないのなら、
  実はこの実験室自体、いろんなレベルが存在すると思う
  原発からの距離とか、放射能の影響とか、関東・東北とか、
  日本とかのレベルとか、もしかしたら地球とか宇宙なのかもしれない
今ある中で最良の結果の出る実験にしたい。

この実験のお陰で、未来の人たちが
より良い決断ができるような…
数十年後に、あの時のあの人達のお陰だと
その時に今が続くことを心から願って。
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by ayako_HaLo | 2011-03-25 08:39 | thoughts | Trackback | Comments(1)
人はいずれいろいろなことを忘れる。
特に私は忘れやすい。忘れる前に、メモ。
もう既に時間軸とかおかしくなっているかもしれない。

3月11日(金)
 14:35 頼まれていた銀行の手続きをするために銀行へ
 14:46 銀行の駐車場にバイクを停めようとしたとき地面が割れるほどの揺れ
    銀行内から人が飛び出してくる、
    近所の市役所、公民館からも人が飛び出してくる
    バイク、車ががひっくりかえりそう、
    これまでに聞いたことのない街中の窓という窓が音をたてる
    近くで一箇所、電線が落ちる
    隣の家の灯油が漏れ出す
    街中の停電
    最初の巨大な揺れだけでもかなり長い時間
    その後の余震もかなり大きいものが1時間ほど続く
    ワンセグ携帯を持っている人が報道を見てくれて震度6強
    さらに東北地方まで続くエリアが大きな揺れだったことを知る
    その場に居合わせた人たちと落ち着くのを待つ

 15:30頃 その後の予定を全て諦めて帰路に着く
    ブロック塀が完全に崩れ落ちているところ十数箇所
    屋根瓦が落ちている
    道路がうねっている
    消防車出動
    集団で駐車場うずくまっているスーパーの店員さんと思われる人たち
    警察官が手信号で交通整理

 15:45頃 帰宅
    怖くて家の中に入れずに外から様子を伺う
    <家外観>
     屋根瓦が大量に落ちている
     大きな窓ガラスが割れてコナゴナ
     ミミズコンポスト「キャノワーム」がひっくり返って中身散乱
     あちこちコンクリートにひび割れ
     台所の裏戸とかまちの間に隙間
     井戸の歪み
     ガレージの中の棚崩壊、もの散乱

    意を決して家の中へ
    <玄関>
     下駄箱が30センチほど前進
     壁にかかっていたホワイトボードが落ちている
    <廊下>
     廊下の本棚の本が散乱
     砂壁が落ちている
     窓ガラスが割れて散乱
     物置のものが倒れて廊下を塞ぐ
    <トイレ>
     棚に並べてあった「種」の瓶がほとんど落ちて散乱、大量破損
     便器と床の間に水漏れ。便槽から水が無くなっている
    <居間>
     本棚の本、CD類がほとんど落ちて散乱
     食器棚が動いていくつかの食器が落下、破損
     障子が一枚さんを外れ、紙がビリビリに裂けている
     襖がさんを外れて倒れている
    <台所>
     食品棚が二つ倒壊
     びん類、ボトル類が落ちて散乱、大量破損
     閉まっていたはずの窓が開いている
     出窓の上のものが全て落ちている
     袋戸が開いて中身が散乱、大量破損
    <洗面所・風呂>
     鏡戸が開いて中の物が散乱、破損
     タイルの壁が大量崩壊、散乱
     風呂桶の蓋が水中に落ちている
    <階段>砂壁が落ちている
    <寝室>枕元の棚が落下
     棚の上のものが散乱
     袋戸のスーツケースなどが落下
     目覚まし時計コナゴナに破損
    <洋間>合板張りの壁がところどころ完全に外れている
     棚のものが散乱

    <ライフライン>
     電気不通、電気で井戸から汲み上げる水道不通、家電話不通
      ⇒以上、電気が止まったたらストップ
     ガス確認できず(隣の人がOKと言っていた+台所散乱酷く未確認)

    <やったこと>
     隣近所の人と安否・被害確認。(ガスOK情報得る)
     火が完全に暮れたら、真っ暗になると思い、懐中電灯類を集める。
     何から手につけていいか呆然としながら
      畑作業用のゴム手袋をして割れたガラスの処理から優先して片付
      ★ゴムの作業手袋あって良かった
     玄関のドアは開け放ったまま、時折、外に飛び出すほどの余震頻発

 17:30頃 旦那帰宅。早めに解散になったらしく良かった
     大きな余震が続き、家の中で寝ることを断念
     車の中で眠ることを決定
     寝袋、布団類、防寒用窓ガラス覆い、ラジオ、水、食料を運び込む
     暗くなるまで片付け。
     時折、外に飛び出すほどの強い余震続く
     自宅では携帯電話の電波も入らず
     電波の入るところで、災害伝言板に無事の連絡
     ★お風呂に溜水があって良かった。手が洗える。
     お皿にラップをはって、保温ジャーの中の酵素玄米でおにぎり。
     
 20:00頃 車で近所の人の安否確認。避難所確認。
 21:30頃 自宅の駐車場(屋根なし)に駐車した車内で就寝。
      ★軽のワンボックスカーで時々寝る経験が役立。寒さよけも十分
      旦那の携帯に「原発の状態が悪いから出来るなら
       しばらく関東を離れるように」という個人的メール受信
      ぐらぐら揺れて何度も目が覚める
      明るくなってからようやく少し眠った

3月12日(土)
 8:30頃 近所の人達が動き出しているのがわかり起きだす
     長期戦になるこかということで庭に仮設トイレ作成。ダンボール壁
     相変わらず自宅付近はdocomoの電波入らず
     東電の原発の状況を知らせるニュースが時折ラジオで入る
     スーパーカブで近所の状況を見に行く
     いつもいろいろお世話になっている近所のガソリンスタンドに列
     都内に一旦移動することも考え始めていたので、
      旦那に列に並んでもらうよう依頼
     さらに近所の様子を見てまわる
     街中では時折、溜まっていたメールがまとめて届く
     信号機がなくても譲りあって回っている様子
     近所の他のスタンドは全て閉店。停電中だと仕方ないか
     避難所にはたくさんの人達
     避難所に飲み水は十分にありそうなことを確認
     公衆電話に並ぶ人を発見
     そうか、公衆電話は使えるのか
     弟と旦那の実家に電話。直接無事を伝える。(両親は旅行中)
     弟から原子力発電所の現状に対する彼の見解を聞く
     こちらの現状を伝えたら、とりあえず情報と移動手段のある
      東京に移動することに賛成、ということで動くことに
     お昼ごはんのおにぎりを握って、ガソリンの列に戻る
     3時間ほどかかって車とバイクに給油
     途中交差点から左折する形でガソリンの列に入る人たちが現れた
      並んでいる理由がわからずに曲がっているかもと思い、
      この列はガソリンに並んでいるので、通行するのなら別の道を
      という案内をして数台回避してもらう
     馴染みのスタンドだったので少し差し入れ
     電力なしでスタッフ総出で手動で一基だけ稼働させていた
     今回のことが起こるまで手動で動かせることを知らなかったそう
     それに気づいてすぐに対応したみなさんに敬意
     帰宅後、必要最低限の荷物の用意
     充電器、充電池、携帯ラジオ、水、食料、着替え、携帯、パソコン
     暗くなるまでガラス中心に部屋の片付けをして出発

     停電で信号機も街の灯りもない中を走る
     ★車のシガーソケットから携帯電話に充電しながら走る。よかった
     ラジオの放送を聞きながら、通行止めになっていない道をたどる
     ラジオの放送で原発周囲の退避エリアが10-20kmになったと知る
     古河のあたりまで来て、ようやく街に明かりが見える
     詳しい情報がわからないので、とりあえず弟に電話を入れて
      翌日13日(日)の東京ー佐賀便の予約を入れてもらう
     コンビニエンスストアに食料なし。電池なし。

     途中、軽い渋滞にあいながら、5時間ほどかかって都内の実家着
     テレビの映像が良く分からない
     頭が働かなくなっている状態を自覚しつつ、情報収集
     朝一の便の予約を午後に変更
     ぐったりして23時過ぎに横になる
     都内でも余震が続いている

3月13日(日)
     被災者としてとりあえず家を出てきたのに、想像を絶する規模の
      被害の映像に愕然とし、ショックを受ける
     原発の報道の内容の理解がちゃんと出来ない+
      現実的に分からないことだらけなのがわかってショック
     朝、自分がどうしたらいいのかわからなくなって軽いパニック
     旦那と離れたくないけど、翌日には仕事に行かなくてはならない人
     精神的に自分がおかしくなっていることだけは自覚できたので、
      午後の便で実家に帰省することに決める

 13:30 旦那に付き添ってもらい羽田に向けて移動。驚くほどスムーズ
 16:00 定刻から10分遅れで離陸
 17:30 佐賀空港上空。海岸線に海苔養殖が見える
     こういう海沿いが津波に飲まれた映像が脳内で再生される
    無事着陸
    両親、弟家族総出でお出迎え
    家に帰って夕食、お風呂、3歳の姪っ子と遊ぶ
    ここからはインターネット、テレビに食いついて情報収集
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by ayako_HaLo | 2011-03-23 17:41 | thoughts | Trackback | Comments(0)
今回の経験で大切なものにも気がついた。

一つは、不安定な中、5日ほど離れていた旦那と
一緒にいることはとてもとても大切なことだということ。

二人で一緒にいることを何よりも最優先すべきということを自覚し、
一緒にいられれば、それだけで少し安心できるということ。

家族の暖かさ、力強さ。

地震の翌日に、いつでもどうぞと身を寄せさせてくれた
旦那のお父さんと弟。

お義父さんは、まだ震える私に暖かいごはんを作ってくれた。
家の中を裸足で歩けること、
暖かいごはんを食べられることに心から感謝した。

義弟は、普段自分がいる部屋を完全に私たちのために
明け渡してくれて、文句も言わず不自由な環境で過ごしてくれた。

旦那は、自分は仕事のために残らざるをえない状態を抱えつつ、
できるだけ私に沿おうとしてくれ、
佐賀に帰るときには空港まで電車で見送りに来てくれ、
戻ってくるときにも迎えに来てくれた。

佐賀に帰った日、休みの日だったこともあり、
両親、弟夫婦、姪っ子が揃って空港まで
迎えに来てくれていた。

実家に帰っている間、
母は入っていた予定を全てキャンセルして一緒にいてくれ
毎食、暖かいごはんを作ってくれた。

父は、私の話を真剣に聞いてくれた上で、
それでもお前の成すべきことをしに戻れ、と
自分の持ち場で生きる覚悟を決めるため、背中を押してくれた。

弟は、毎晩0時を回ってから帰宅できるか、
できないかというような忙しさの中、
自宅ではなく私のいる実家にできるだけ帰ってきてくれ、
その時間から私の分からないことへの不安を一つずつ解消してくれ、
理解を助けてくれた。

義妹は、娘(姪)を連れてほとんどの時間
私の実家で過ごしてくれ、
ほとんど何も手につかない私の代わりに
洗濯をしたり、食事の準備をしたり、
私がどこまでも自分の心の整理に時間を使うことを
まったく当たり前のように許してくれた。

姪は、「あーたん、大好き」と擦り寄ってきてくれて、
全体像は理解できなくても、
私のそばにいることが大事と感じていてくれ、
一緒に眠り、一緒に遊び、
今にも潰れそうな私の心を
彼女のエネルギーと共にいさせてくれた。

そして友人たち。
国内のみならず、海外からも
この間に受けた電話やメールなどの連絡は
数えきれない。
真剣に日本のため、私のために祈ってくれているのを感じている。

佐賀にいる間に、高校の友人も自宅に訪ねてきてくれ、
4時間以上真剣にお互いに話をすることができた。

自分の根っこの部分を支えてくれている存在たち。
その人達と今回、深く深く改めてつながった。


だから、今、
大切な人に会うことを心が求めているのであれば、
みんなが、その心の求めて応じられたらいいな、と思う。

きっと色々と気づかせてくれるだろうと思う。
大切なものに気づくことで、私たちは強くなれる。
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by ayako_HaLo | 2011-03-20 00:14 | thoughts | Trackback | Comments(4)

こわい=わからない

私は茨城県笠間市で強い地震にあい、
室内の壁、屋根瓦が落ち、窓ガラスが割れて
棚が崩れて中身が散乱し、割れ散らばった家の中へ
土足で入り、大きな余震に時々外に飛び出しながら
細々と片付け、
最初の夜を車の中で過ごしました。

水道はまだいいとしても、
電気と電話のない世界で、
情報がなく、時折入るラジオからの
不十分な原発に関する情報にあまりにも怖くなり
翌日は近所で唯一お店を開けている
手動でガソリンを汲み上げて販売していた
行きつけのスタンドに並んで給油し、
ところどころ通行止めの出ている下道をたどって
都内に出ました。
まずは、何が起こっているのかわからないことが
怖くて仕方がありませんでした。

その後、東京で初めて今回の震災の全体像を見て
二度目のショックを受け、
さらに原発で起こっている前代未聞の先の見えない事態に
三度目のショックを受け、
自分が自分を保てていないことを自覚し、
使えないどころか、かえって不安を撒き散らすと思ったので、
実家に帰省しました。

揺れない地面の上、
暖かい布団と、
家族が何もかも受け入れてくれたお陰で、
少しずつ落ち着き、
なんども怖いと涙を流し、
怖かったものの正体も少しずつ見えてきました。

放射能という眼に見えない
自分には制御できなくて、わからない物質そのもの、
あびても全く感じることも、
あとあと測定することも出来ないことに怯えていること。

また、万が一にも核燃料が溶け出すような自体になったときに
これまで複数炉で同時にここまでの問題が起こることを
経験したことがない以上、
本当に何が起こるのかはわからない、ということ。

  その「わからない」内容の想定が、
  科学者によって、専門家によって違っても
  経験したことがないのだから、仕方がないのかもしれません。

  今、デマと呼ばれる本当のデマと共に、
  危険性を指摘している内容も、デマとして
  取り扱われつつあることには注意しなくてはと思います。

最前線で作業にあたってくださっている人たちのことを考えると
心から感謝と敬意と涙が湧いてきます。

ただ、私たちが接することのできる情報は、
今、本当に何が現場で起こっているのかを
きちんと確認するすべがなく、
データ、遠くからの映像などからの推測で
本当に本当のところはわからないんじゃないか、ということ。

また、その燃料棒が溶け出すこと自体が起こったとき、
または起こることが確実であると判断されたときに、
その事実を知った私たちが集団でパニックを起こし、
また、その時、もし私が一人でいるようであれば、
自分自身がどうなってしまうのかわからない、ということ。

そして、今回の未曽有の災害復興に、
どれだけの金銭的な負担がかかるのか
皆目わからないこと。

その復興のために必要な資金を少しでも得るには
こんな状況の中でも日本の経済を回し続けなくてはならず、
それが失敗すれば、日本が無くなる
という判断も成り立つかもしれず、
私たちの健康や命に関わるもろもろの判断が
多少の犠牲はやむなし、となっている「かも」しれないこと。

つまり、怖い全てのことは「わからない」ことでした。


今回の地震もそれに伴う津波も「想定外」だと
なんども耳にしました。
つまり、私たちは自然の営みのタイミングも
その大きさも、その結果も「わからない」。

そのことを今一度思い出す必要があるように思います。

私たちは傲慢になり、畏れを忘れてしまった。

それを今回取り戻したのでしょう。
以前よりさらに熱心に、真剣に祈りを捧げている私がいます。

私にとっての祈りとは、強い約束です。
願う世界を作るための約束です。

もう二度とこんな怖い想いをしないですむように。

「 安らかに眠って下さい
この過ちは二度と繰り返しませぬから」

この言葉が頭を回っています。
本当に、もう二度と繰り返しませぬから。
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by ayako_HaLo | 2011-03-20 00:12 | thoughts | Trackback | Comments(0)
ついったーから派生して。

ある集会で
「何でも自由にすることがいいのかどうか、ということについて考えるべき」
という話題が出た。

TPPの話題に絡めて、
その人の論旨は自由にしない方がいいこともある、というものだった。
それから、そのことを考えている。

自由を制限して、よい(と思われる)方向に持って行く、
ということも出来るかもしれない。

現時点では、私はTPPに反対だなあ、と思っているものの、
ほんとはすごーく長い目で見たら、
何でも自由にしたその上で、
みんなのためになることを選択出来るようになりたい、
そうありたい、
と思っていることに気づいた。

貿易も何もかも自由化しても
弱肉強食の論理じゃなくて、
まずは、自分の身の回りから外に向かって、
みんなのことを、
全ての生き物のことを、
地球のことをフェアに考えられるようになりたい。

「自分たちで」
「選び取って」
そうなりたい。

そう願っていながら、
TPPに反対だなあ、と思っているのは、
まだ、そうなるのにはもう少し時間がかかりそう、と思っているのかな。

今のままでは潰れてしまうことが多過ぎると思っているのかな。

新しいシステム、
パラダイムシフト、
チェンジザドリーム、
ワールドシフト、
そういうことが必要。

自分以外のものに勝とうとしないこと。
言うはやすし行うは難しだけど。
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by ayako_HaLo | 2011-01-27 21:38 | thoughts | Trackback | Comments(0)

いのちをいただくこと

twitterに加筆。

昨晩、八郷の有機農家の方から平飼いのまるごとの鶏を
一羽分けていただいた。

いのちをいただくこと、流域自給などについて、
4時間ほどいろいろな話をして(伺って)帰宅。

鳥類、哺乳類のいのちをいただいてきたにもかかわらず、
その命を締めるという体験をしたことがないことを
ずっとある種後ろめたく思ってきたけれど、
その命をずっと育てて側にいた側からすると
「体験」として関わることへの疑問を聞かせてくださった。

自分でずっと育ててきたその最後を見届けることとは違うものでしょう、と。
たしかにその通りだと思った。

そういう理由で、あるグループが体験させてほしい、
という依頼をしてきたのをずいぶん前に断ったとおっしゃっていた。

一方で、食卓にのぼるいのちを、
そのいのちと繋がらないまま暮らしてきた私は、
そこの部分のブラックボックスを埋めたいという想いがあり、
イベントとして「体験」したい、という感覚ではないことをお伝えした。

見える景色が立場によって変わる。

その農家さんは、以前、牛を飼っていた頃、
牛を締めていただく現場に立ち会わせてもらったことがあるそうで、
その所作の一つ一つが完璧であり、頭が下がり、涙が出たそうだ。

私がもしも「体験」させていただく、とした場合、
そのいのちに対して最も苦しまない状況で終わらせることは、
どんなに教えてもらっても不可能だろうと思う。
迷いや恐れ、急所をはずすなど、いろいろなことが想像できる。

日常的に自分の家で飼っている鶏を締めていた時代に
子どもとして親に教えてもらって締められるようになることと、
現代のそれの違いを思う。

私の中には、屠殺に対する、出来ればやりたくないこと、
という意識があることを自覚するし、
そして、それを制度的・世襲的にやってきて、
差別を受けてきた人たちのことも消えることがない。

昨日、いろいろなお話をさせていただく、
聞かせていただくことによって、
死やいのちへのリスペクトの感覚を改めていただいた。
その部分を扱ってくださる人たちに対して、
農家の人達も、締めてくださっている方達も含め、
改めて深い尊敬の念。



そして、いただいてきた丸鶏は、サムゲタンに。(初挑戦)
http://bit.ly/i4equh
感謝して料理していただきます。
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by ayako_HaLo | 2010-12-19 13:30 | thoughts | Trackback | Comments(0)
昨日は、心に傷を負って入院している子供たちに本を読み、
歌を歌いに行ってきた。

気にはなるけど遠巻きにして近寄って来れない子たち、
大画面のテレビゲームに夢中で興味を示さない子たち、
座っているのが大変そうな子たち。

初めて会うのに安心して目の前に座ってくれというのは難しい話だよね。

目の前に、おはなしのために座っている子は少なくても、
病棟の他の場所や部屋にいる子たちにも届けばいいな、
という思いで読んで歌ってきた。



子供の頃、眠る前に本を読んでもらうのがとても好きだったのを思い出す。
お話を聞いている途中で眠ってしまうことの気持よさ。
私にとって本を読んでもらうことは安心、鎮静、リラックスなのかもしれない。

大人になってからも、
しばらく旦那と池上正太郎のいろいろの本を寝る前に交代で読む、
というのが流行っていた時期がある。
まだ東京にいた頃の話。

今でも、旦那の髪の毛を切っている間、
切られている旦那は私が聞きたい本を読んでくれる。



私はまったくゲームをしないから、
その奥深さを全く理解していない可能性もあるのだけど、
私の想像の世界では、
どんなにそこに可能性が広がっているように見えても、
プログラムされている範囲を超えないんじゃないか、
子どもの想像力をその範囲に留めるのは勿体無いんじゃないかと思う。

昨日聞こえていたゲームの「音」は私には耐えられないシロモノ。
それが目的なのだろうけど、神経を逆立てる無機質な電子刺激音。
あの音、あの画面をずっと子供たちが見つめていることに
大きな不安を感じるのだけど、
これって親の世代が私たちに対して抱いた
漫画ばかり読むことへの不安と近いのかな。

少し違う気がするのだけど。

スピリットの入っていないゲームが溢れていて、
それを目にする機会が多すぎるあまり、
ゲーム自体を毛嫌いしている気配はあると思っている。

本当にいいゲームってのがあるならやってみたい。

と言いつつも、自分で遊びを思いついてやることには叶わないんじゃないか、
と、やっぱり色めがねがかかっていることは否めない。

ゲームの話だけじゃなくて、
音楽の話ともつながると思うから、
いいものはあるんだ、いいものはいいんだ、
というゲームの話も聞いてみたい気がする。
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by ayako_HaLo | 2010-12-17 11:51 | thoughts | Trackback | Comments(0)
積極的に関わる気があるときは、
自分だったらこれをやってほしい、
ということを見つけ出して、私は動き出す。

「何か手伝えることがあったら言って」と言うとき、
そこには自分からの積極的な関わりを避けるニュアンスがある。
どうしようもなくなったら声をかけるかもしれないけれど
こういう人を最初に声をかける人に私はしない。

手伝ってもらうとき、
その内容を説明し段取りをつける手間と時間が必要。
その時間さえ割けない状況も存在するし、
その瞬間のことだけを考えたら
自分でやっちゃう方が慣れてるし早い、
ということもある。

ひとりでやれる規模なのかどうか、
ということの確認は必要。

また、長期的に何を目指すのかを考えれば、
少々手間でも別の人も出来る状況を作る方がいい。

そうやって手間や時間を惜しまずに
私にやらせてくれた人たちの顔が浮かぶ。

育ててもらった、と思う。



手伝ってくれる人がリーダーシップ/コミットメントを持って
自分から動く気がないときや、
手伝ってやる的なニュアンスがあるときは、
手伝ってもらわないほうが賢いかもしれない。


手伝う側をやるときは、
その仕事によって得られる体験と
説明を受けられることをありがたく受けよう、と思う。

私は、一旦手伝い始めると「没我」の状態まで関わり、
いつの間にか本末転倒するところに到達しちゃう。

ただ、そこまでたどり着かないと
「人のためになりたい」という
自分の中の大きな一部が満足しなくて止まれない。

有限な時間と体力と労力の中で
何を優先させるのか選び取る作業を常にやっている。

そして自分のこの性質に気づいて突入するかどうか、
考えるようになってきたかも。

途中で投げ出すことは出来るだけ避けたいと思うから。

それでもあっぷあっぷしていることしばしば。
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by ayako_HaLo | 2010-06-03 14:58 | thoughts | Trackback | Comments(0)