制作プロジェクトHaLoを主宰するayakoが、音楽、写真などHaLoとしての活動について、また、mac、旅、映画、本、猫、食べ物、気になったニュースなどについて、徒然に綴ってます。


by ayako_HaLo
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カテゴリ:books( 25 )

何だか最近、
「これが正しい」という暗黙の了解になっていそうなことに
気づくことがたくさんあって、
そう言っちゃった瞬間にこぼれ落ちるものがたくさんあったり
窮屈に感じちゃったりしてる。

でも、それを自分もたくさん身にまとっているんだよね。
無自覚に。

自分の目線からしか物事は見えないから、
他の人の感じていることは全然別ということが
急に目の前に現れる時は驚く。

そのことで誰かを傷つけたり、
誰かをいらつかせたり、
気分を悪くさせたりしていることがあるんだ、
ということがわかったときは自分自身も少し傷つく。

自覚的でありたいと思うし、
自覚させてもらえる出来事がありがたいと思う。



天童 荒太の最新作「悼む人」を読み終えた。
直木賞を受賞したから…とかじゃなくて、
ずっと読み続けている作家の一人。
読んだあとにいろいろな感情を呼び起こしてくれるから
好きなひと。
今回も電車のなかだったにも関わらず、ずーずーに泣いた。

今回、私は、
愛っていう言葉ですべて現せないことかもしれないけど
手放すのも愛
執着するのも愛

どちらも愛であり、どっちかが正しいってことはない
という気がしたのが自分的にはタイムリー。

そして、
相手のためにちょっとだけ自分が損をしたって構わない
と思っているということが愛してるってこと

という
もしかしたらちっちゃい日々の暮らしの中にあることも
すごい大切なことだなあ、って改めて思った。

いつかこのひとには会ってみたい。
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by ayako_HaLo | 2009-03-24 21:24 | books | Trackback | Comments(0)

自分を信じて生きる

6月11日から二週間程サウスダコタとインディアナに
行って来ようとしている。

インディアナは1992-93に日本語を教えに行っていた土地で、
そのときのホストファミリーに会いに。
2000年頃に一回寄っているので、8年ぶりくらい。

その前のサウスダコタは初めての土地。

b0024339_22294116.jpg『世界を救う13人のおばあちゃんの言葉』
というドキュメンタリー本が最近翻訳されて出版されたのだけど、
このドキュメンタリーの元になった評議会の第一回が
2004年に行われ、その第五回が2007年6月にサウスダコタで
行われる。
http://www.grandmotherscouncil.com/

何となく、引っ張り込まれるようにして、
このおばあちゃんたちと少し関わるような気がして来て、
とりあえず、この評議会に参加してくる予定。

また、その評議会のあとに、ラコタ族の祈りの儀式
サンダンスや、スウェットロッジなどが行われるらしく、
これまた流れのままに、その儀式も目撃してくる予定。

何かに引っ張り込まれるように決断してしまった
サウスダコタ行きなのだけど、
ラコタ(スー)族のこともほとんど何もしらないまま
行こうとしちゃっている…ということを
先日小川町で出会った女性に話をしたら、
「ちょうど今読んでいる本がラコタ族について書かれていて、
いい本だから紹介します」
と言われて、以下の本を紹介してくれた。

b0024339_22312876.jpg『自分を信じて生きる-インディアンの方法』松木正

この本は、サウスダコタにあるラコタ族の居留地に住んだり、
通ったりして大切なことを学んだ筆者が、
そのエッセンスをまとめた本。

すぐに注文して届いて数時間で読み終えたけれど、
目次だけでもシェアしたら、何かしらを感じてくれそうな人が
周りにいっぱいいるなあ、という気がしたので
目次の紹介。


■すべては正しい時に正しい場所で起きる

■たくさんの繋がりの中に私がいる

■自分のハートが「よし!」と言ったことに、人は決して後悔しない

■信頼のないところには、何も起こらない

■矛盾と同居出来る人は美しい

■利己主義な人ほど傷つきやすい

■執着しなければ、ものも人も、必要な場所へとめぐっていく

■自分を信頼することーそれは最もすばらしい生き方

■「人生の悲劇は苦しいことにあるんじゃない。何を見落としたかにあるんだ」

■思い通りにならないものを自分の中に受け入れたとき、相手の声が聞こえてくる

■自立しようと思ったら、ヘルプメッセージを出せなくてはいけない

■人は泣くときと笑うとき、自分の魂とつながることができる

■思い悩んだり,身動きが取れなくなったときはメディスンホイールを思い浮かべてみるといい

■「今ここに、目の前にいる人のために」、自分ができることを与えつくす

■「今、ここ」という瞬間に、幸せになる種や元気になる種が落ちている

■人間も含めたすべてが、大きな自然の中にある

■魂を語ることを恐れてはいけない
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by ayako_HaLo | 2007-06-07 22:35 | books | Trackback | Comments(0)
以前からWWOOFウーフという言葉は知っていたし、何人かWWOOFerウーファーにも会った。だからこの本に書かれていることが、特に新しい情報だったわけではないのだけど、改めて面白い仕組みだなと思ったので、ここに書いておくことにした。

WWOOFというのは、もともとWorking Weekends On Organic Farmsの略としてイギリスで始まったようなのだけど、文字通り週末を有機農家のもとで農業体験をして過ごす、というものとして始まった。WWOOFに登録されているホストと呼ばれる有機農家は、人手(労働力)を受け取る代わりに、一日三食と宿泊を提供する。そしてWWOOFに登録されているWWOOFerウーファーは、滞在中の滞在場所と食事を受け取る代わりに一日4~6時間の労働力を提供する。どちらも金銭の受け渡しをせずに、週末だけ〜数ヶ月共同生活をすることになる。

これが一般に広まって行く過程で、農家滞在が週末だけに留まらなくなり、Willing Workers On Organic Farm(有機農家で自主的に働く人たち)に変わり、その広まりが世界に広がるにつれ、現在はWorld Wide Opportunity on Organic Farms(有機農家における世界的な機会/体験)という風に変わって来ているらしい。

いろいろなホストの人たちが登録しているようだ。有機農家だけに留まらず、自然食品のお店だったり、自然食のレストランを経営するところだったりウーファーになる側からしたら、体験できることも色々ありそう。またホスト側は、純粋に労働力を必要として登録しているところから、若い人たちに農業体験をする機会を与えたいとか、農に興味を持って欲しいとか、環境問題に関心を寄せて欲しいなど、ホストになった動機も色々。

国も、日本、韓国、ガーナ、コートジボアール、トーゴ、スロベニア、スイス、イタリア、フランス、スペイン、アイルランド、ポルトガル、デンマーク、フィンランド、オーストリア、ドイツ、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、米国、ハワイ(2003年5月現在)と、かなりの数の国にWWOOFの事務局が設置されている。

各国のWWOOF事務局は連携している訳ではなく、独立しているので、働いてみたい場合はそれぞれの国で会員登録をする必要があり、登録料は2000円〜5000円/年程度。

これまで色々な国に行って来て、そのどれも「観光」ということからは外れていたけれど、実際にホームステイをして一定期間暮らしたことがあるのは、米国とイギリスだけ(フィンランドも数日音楽家のTimo Alakotilaの家に泊めてもらったか…)。労働力を提供すると言っても、出来ることしかやれない訳だし、せっかくならお願いしてでもやってみたいことが多いはずだから、そのうちどこかの国にWWOOFerとして行ってみたいな、と思う。また日本のホストも魅力的なようだから、日本国内も回ってみたい。

大学生の頃にこの仕組みを知っていたら、あちこち行っていたかもしれないなあ。日本に事務局が出来たのが2002年ということだから、少しずつ広がって来ているもののまだまだ新しい仕組み。ホストとして登録することによって忙しくて人出の足りない有機農家側にも、その有機野菜を口にする私たちにも大きなプラスになるかもしれない。面白い仕組みだと思う。
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by ayako_HaLo | 2006-02-26 18:39 | books | Trackback | Comments(9)
日本を始めとして世界では色々な発酵食品が食べられているのですなあ。(←本文中の筆者の口調。時々はさまれるそんな口調もほのぼのしていていい感じだった)

既に自分で菌と向き合っているぬか漬け、天然酵母パン、ヨーグルト(乳製品をしばらく止めてみようと思っているので、今冷蔵庫にある分で終了する予定だけど)、キムチはコレからも付き合いがあるものとして、それ以外も、味噌、甘酒、発酵茶、醤油、食酢、麹漬け、納豆、などなど自分でやってみたい〜、というモノもたくさんあった。日本の気候は発酵する環境にとても向いているんだ、ということもわかる。

麹とつき合えるようになれば、かなり幅が広がるなあ。今の東京のマンションじゃダメだけど、引っ越したら「麹部屋」「発酵部屋」ってのを作ることが出来たらいいなあ、という夢を描いた。映画「タイマグラばあちゃん」の中で作られる味噌は、味噌部屋で作られるから麹を加えていなかったように思う。そういう「部屋に麹や菌が住んでいる」場所を作れたら素敵だな。本にはなかったけれど、自家製天然酵母を培養するっていうのが一番近いところにあるかなあ。(ホシノ天然酵母を使ったパンは、今週はアルコール発酵まで行かずにうまくいった。発酵する様子を見守るって何だか素敵)

それとも麹を手に入れて、甘酒とかべったら漬けとか、麹菌の周辺を一度トライしてみるかなあ。これはイキナリ幅が広がりそうな気がする。そんな自分の家で出来た「自家製○○」だけで食事を作ることができる状況も作ってみたい。一度、身の回りのものの「根本」を見てみたいのだ。その一環が「農」なんだと思う。立ち返ると全てが「材料」に行き着くから。もちろん、私の考えることだからそんなに「厳密に」やる気はないけれど…。

本にはなじみの深いものだけでなく、「え〜、そんなものをそんな風にして食べる人たちがいるんだ!!」という驚きや、文字で読んだだけで凄い臭そうな食べ物もたくさん後半部分に出て来る。中には、目の前に出て来た時に手を出せるかどうか??というものもあったけれど、チャンスがあったら挑戦してみたいもの。中でもスウェーデンの「シュール・ストレンミング」というニシンの発酵缶詰っていうのは一度挑戦してみたいな。ものすごいにおいらしい。

缶詰にしてからも発酵させるらしく、缶は出て来た炭酸ガスでパンパンになっているそうだ。その缶に書いてある注意書きがそそられる。
1)決して家の中では開缶してはならない
2)開缶する時には必ず不要のものを身にまとって行うこと
3)開缶する前に、缶詰を必ず冷蔵庫の冷凍庫に入れて、よくガス圧をさげてから行うこと
4)風下に人がいないかどうかを確かめてから開缶すること

筆者は実際に開缶してみたことがあるそうで、
中から強烈な臭気を含んだガスが「ジュ〜ァッ!」という音をたてて噴出し始め、その周囲はとたんに強烈で異様な臭気に包まれました。
とのこと。凄そう〜。今度スウェーデン行ったらやってみたい。味は
臭みの強烈な塩辛に炭酸水を混ぜ込んだような感じのもの
で、なおかつ
最も強烈なにおいの食べ物でありました
だそうな。筆者はかなりくさいものを食べて来たんだと思うけど、その人が一番強烈っていうもの…食べられるかな…w

また、最後の対談部分にあった「ホンモノのにおいを忘れかけている」「育って来た環境に有った/合ったにおいを受け入れるようになる」という話もなんだか他の色々なことにも共通して言えることのような気がした。『発酵食品礼讃』、『平成養生訓』、『納豆の快楽』、『食の堕落と日本人』という他の著書も読んでみたい。
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by ayako_HaLo | 2005-10-30 12:01 | books | Trackback | Comments(10)
二年前、沖縄の座間味島でキャンプをしたときには、その辺に生えている草とか浜辺の岩にくっついている一枚貝とか「食べられるかな〜」という実験を毎日していたし、普段歩いていても、つい「この草って食べられるかも」「この実って甘い匂いがするから食べてみよう」てなことを時々やってしまう。結果、固すぎて食べられなかったり、渋くてぺっぺっと吐き出したりするものもあるんだけど、だんだん美味しそうに見えるものは結構食べられる、ってことが分かって来ていたりもする。

だけど、ネコジャラシ(エノコログサ)を食べてみようというのはこれまで考えてみたことも無かった。でも、どうやら食べられそうなのだ。ネコジャラシと「粟(アワ)」は親戚関係にあるみたいなのだ。粟ならほとんど毎日食べている。

著者は自由の森学園という学校の理科の先生だったひと。この本は、この学校の先生をしているときに、生徒たちとネコジャラシその他のドングリ、ジュズダマ、テンナンショウ(毒のあるイモ)を食べる実験をしたり、その過程で調べたことを一冊の本にまとめたもの、という風に受け止めた。

実はこの本を読む前に「ドングリは食べられる」ということを知って、たまたま通りかかった公園に大きなドングリがたくさん落ちていたから、子供たちにまじって手のひらいっぱい拾って来て実験してみていた。その実験の後に、この本のドングリのことも読んだ。

b0024339_12281832.jpg拾って来たドングリを軽く水洗いして、フライパンへ。中火で炒る。

b0024339_1230425.jpg結構簡単にぱちんと真ん中で殻が割れる。表面が少し黒くなって、殻が割れたら終了。

b0024339_12314266.jpg殻が割れているものは、簡単に手で中身を取り出すことが出来る。渋皮も殻にくっついて取れてしまうので、つるん、と中身だけになった。断然栗より剥きやすい。

で、迷いも無く食べてみる。「渋〜い、ぺっぺっ」ていうのを覚悟していたのに、ほんのりと甘くて美味しい!逆にびっくり。勢いづいて相方のお父さんや、相方にも勧めてみる。二人とも「あぁ、食べられるもんだね」程度の反応だったけど、私にとっては、全然食べられる、コレから毎年食べよう〜、パンにも入れて焼いてみようかな、と思うほど「食べられる」以上のお味だった。結局ほとんど一人でポリポリと完食。

そのあと、この本を読んでみて、一口にドングリと言っても色々な種類があるっていうことを認識し、中には渋〜いのもやっぱりあるようで、私がホントに「たまたま」拾ったのは「マテバシイ」という渋くないドングリだったんだろうな、と思う。ドングリを拾った時に葉っぱまで一緒に拾っておけば、どのドングリだったかはっきりと特定できたはずなのに、ちょっと残念。今度行った時には、葉っぱも拾って来よう。じゃあ渋いドングリは食べられないか、というとそうでもなく、食べる為の努力を少しだけすれば、どのドングリでも食べられるみたい。そして世界中あちらこちらに色々な種類のドングリがあるんだってことも分かった。マレーシアや西表には巨大なドングリがあるらしく、西表では昔は食料にしていたらしい。今度行ったら探してみたい。

この他にも、雑草が作物になっていく過程、その違いなども考察されているのも興味深かったし、今現在作られている作物が「一代雑種」という「品種の違うオスとメスを掛け合わせて、その子により優れた性質が現れるという遺伝の性質を利用した種を作っている」ものがほとんどになっている、というのも、ここのところ私の心に引っかかっている「循環しない仕組み」の一端を見た気がした。自家採種可能な種というのを買った時に持った「どれだけの種が自家採種不可能なのだろう」という疑問への答えは「ほとんど不可能」なのだろう…。今、私たちが八百屋さんやスーパーで手にする野菜(や果物)のほとんどが、「甘い」ことを売りにしているこの一代雑種の野菜たちであり、糖度表示などがしてあって甘いことをありがたがる私たちは、どんどん自然の循環からは遠のいている。そして、間に「種苗を扱う企業」を通さなければ今の食生活が成り立たなくなって来ていることも怖いと思うのだけど。

甘い野菜が増えて、野菜嫌いの子供たちは減ったのかも知れない。でも、長い目で見て循環しなくなっている状態がいいとは思えない。ピーマンや苦瓜は苦くていい、というよりその苦味こそにその野菜の特徴があったのに、最近は甘いピーマンやら、苦くない苦瓜やらが出現している。苦いのが苦手な子供たちはオトナになってからの楽しみとして取っておいたらいいのになぁ。

いつか、イヌビエとか、ネコジャラシとかも採って来て食べてみたい。とっても楽に読める本なので食べることや植物に興味のある人にはお薦めの本。

別著の「農業小学校の博物誌」や、「里山の博物誌」も読んでみたい。
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by ayako_HaLo | 2005-10-27 13:14 | books | Trackback | Comments(20)
ネット通販をしたことがある人で、アマゾンで本を買ったことが無い、という人はあまりいないのじゃないかな、と思う。私自身もアマゾンは、

検索が便利
配送料も1500円以上注文すれば無料
書店に行っても普通は在庫していなさそうなものもある
「マーケットプレイス」という中古を扱う仕組みもうまく使えば資源の有効利用になる
注文するとほとんどが気分的には「すぐ届く」(24時間以内に配達という本もある)

というような理由で利用して来た。家に居ながらにして、検索が簡単、注文が簡単、送料がかからない、すぐに届くと来たら、街の小さな書店はよっぽど在庫の本を特化させてその分野の本のことなら店員さんがスゴク詳しいとか、1500円に満たない本を中心にするとか、雑誌などのすぐ「古くなる」ものを中身をちらっと見てから買える、というような利点をアピールしていかない限り太刀打ちできないな、とずっと感じて来た。大型書店には、その店内の膨大な在庫の中から中身をぱらぱらと見てから決めることが出来るという利点もまだあるし、例えばこの辺で言ったらジュンク堂などは書店内でゆっくり読んで決めて下さい、というスタンスとスペースがあるけれど、小さな街の書店にはその体力/スペースがない。いずれ、大型という形の特化も含め、よほど特化された書店とネット書店だけになってしまうのだろうな、とはずっと思っていた。でも、それは現状の書店がどうなっていくか、という想像であり、どうやって私が注文した本が私の手元に送られて来るのか、分かっていなかったし、想像もしていなかった。

バーコード管理でかなり自動化しているのか、と思っていたのだけど、この本を読んでみて、本は大きさも厚さもまちまちだから、ほとんど自動化できていなくて、ほぼ全ての作業がマンパワーで行われていたことが分かった。

アマゾンの配送を担当するのは、日通の子会社であり、その子会社の持つ配送センターには常時数万点の本が在庫してある。この在庫分が24時間以内に配送ができるという表示のある本ということになる。そして、その本が在庫してある巨大な倉庫の中を時給850円の「アルバイト」が走り回って本をピックアップしているのだった。目標として掲げられているのは一分間に3冊探し出すこと。巨大な倉庫を想像すると、この数字は文字通り「走り回らなければ」達成できない数字のように思う(実際普通はがんばって2.5冊程度らしい)。そして、リストに載っている本を探し出したところで、自分の「スピード」が表示され、自分の「成績」を認識させる仕組みになっており、アルバイトの契約期間は2ヶ月に決まっているから、成績の悪い(スピードの遅い)アルバイトは2ヶ月でさようなら、という「恐怖」にいつも向き合っている。

このアルバイトの現場に筆者自身が4ヶ月ほど潜入した部分が中心になっているレポート。

「誰にでもできる仕事」
「考えることを全く要求されない仕事」
「機械の一部になることを要求される仕事」
「人間として全く大切にされない仕事」

この本が本当に示しているのは、アマゾンの内部の話ではないと思う。私たちの住む社会がどういう社会に向かっているか。

今、随分いろんな局面で世の中の「二極化」が進んでいることを強く感じているけれども、「働く」という意味において、人間として扱われなくなる集団が出て来ることの恐怖。配送センターで働いているアルバイトの人たちの中で、アマゾンで本を買ったことのある人というのは、この筆者の周りにはいなかったのだそうだ。ここでも顕著に二極化が進んでいる。時給850円(筆者がアルバイトをスタートした時点では900円だったのが、その後採用を始めた人たちに関しては850円になったらしい)で、しかもその日の予定作業が終わってしまったら、その場で仕事が終わってしまうような雇用形態。つまり収入が不安定。雇用する側としては「残業代」を支払いたくないからよっぽど忙しい時以外1日8時間の仕事が最大になるようにシステムが組まれているから、それで週に5日働いて月に20日勤務と考えたら、月給は、138,000円。その人たちの家にはパソコンもインターネットもないかもしれない。2ヶ月先以降の保証も保険もないだけでなく、作業に慣れて「熟練」することも無い。いつでも代替可能。

今、かなりたくさんの「仕事」がどんどん全く同じような方向に向かって行っていないか…。かなりたくさんの職場が、人を代替可能なパーツとして認識し、社員として抱えることさえ止めて、派遣社員やパート、アルバイトなど「いつでも切れる」「いつでも代えられる」状態に向かっていないか…。たくさんの人たちが程度の差こそあれ働きながら「鬱」を感じていたり、引きこもりになったりしているのは、この社会の向かっているマズさを感じているからなんじゃないか…。

アマゾンで買い物をしている側にいる、インターネットにアクセスしている側の人も、お金しか価値を持たない世界だけに暮らしていれば、いつかお金の途切れる時が来るのではないか、自分も代替可能なのじゃないか、という不安を持ったまま暮らさざるを得ないと思う。それは、暮らしやすい世界か…?

アマゾンも含め、相手の見えないインターネットショッピングだけど、これから買い物をする時は、今までと同じ気持ちでは買えない気がする。相手の顔の見える、「ありがとう」と言う相手のいる生活をしたい。それは私自身の精神的安定のためでもある気がする。相手と私をいつも入れ替えて考えてしまうから…。
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by ayako_HaLo | 2005-09-22 12:14 | books | Trackback | Comments(0)
著者の名前は知らなかったのだけど、友人が面白いよ、と薦めてくれた本。とても読みやすく、差別をされて来た側の人の目線で彼にとって「母の味」である「あぶらかす」や「さいぼし」の話が書かれている。そして、世界あちこちの「被差別の食卓」を取材し、そのルポルタージュとしてまとまっている。この本の中で触れられているものは;

アメリカ〜ソウルフード。ブラジル。ブルガリア、イラク〜ロマ。ネパール〜不可触民。そして日本〜被差別部落。

フライドチキンっていうのが、元々はソウルフードだったとは、知らなかった。これらの食事に共通していることは、「油で揚げる料理」が多いこと。貧しい食卓の中でのカロリーアップ、手軽に何でも食べられる状態に出来ること、などがその理由のようだ。本当に色々なものをフライにして食べる/食べて来たんだなぁ…。

そして、それらの料理が現在は、市民権を得て人気になり、元々「棄てる」部分だったのを工夫して食べていたものが、今では国民食になっていたり、人気の食べ物になっていたりするものも多い。結果、今となっては材料さえ安くは手に入らなくなっていたり、元々のものからは遠ざかって高級品化したりもしている。

差別については私が10年ほど前にインディアナに住んでいた時にも感じていたことだったけれど、「ポリティカリーコレクト(政治的公正)」によって、差別はイケナイとか、差別語にあたるから、●●という言葉は○○という言葉を使うようにしましょう、というような運動が起こり、表面上差別が見えにくくなってきているのだけれど、その実、差別自体がなくなった訳では決して無い。インディアナ時代は私自身が差別を受ける経験になった時期だ。根っこの部分で絶対になくならないな、と感じていた。アメリカだけのことじゃなく、日本でも度々ニュースに「差別」の問題が出て来るし、厳然とあるけれど、潜っているだけなんだよなぁ、と再確認。被差別部落だけでなく、アジアの人たちや、ガイジン、病気に対する差別も同じだろう。ナイ(ことになっている)ものは、正しようがない、っていうところも更なる問題。

私が二度目に偏見を持たれてるなぁ、差別を受けているなぁと感じたのは、日本に帰って来て、二年間の英語教師を経た後、まっきんきんの「金髪」にしていた数年間。「私」という中身は当たり前ながら変わらないのに、知らない人たちの私に対する態度や見方が随分変わったのを強く感じた。でも、逆の立場になったら、私も見かけで判断しているところは結構ある/あったはず、という反省にも繋がったのだけど。そして、それらの人たちは「差別や偏見を持っている」とは感じていないかもしれない。それなのに、私の方は「見る目が変わった」と感じるそのギャップの部分にもしかしたら大きな問題があるのかもしれないと思う。

これまた友人が送って来てくれたニュース記事なのだけど…
黒人と白人でカトリーナ対応批判に温度差 CNN調査
2005.09.13 Web posted at: 13:44 JST- CNN

黒人と白人(ヒスパニック系を除く)の間でハリケーンカトリーナの対応について、批判の温度差がはっきり現れている。

色々なところでくっきり差が出ているのだけど、
連邦政府の救済が遅れた要因は「被災者の多くが貧しいからだと思うか」との質問には、黒人回答者の63%が「思う」と答え、「思わない」は35%だった。同じ質問に、白人回答者は21%が「思う」、77%が「思わない」と答えた。
同じ事象を見た時に、差別を受けていると感じている側の人たちが「こういう風に感じている」ということにはキチンと目を向けなくてはいけないと思う。差別されている、と感じさせる何かがそこにはあるのだから。

差別、ということからニュースのことにまで及んでしまったけれど、この本自体は淡々と食事を通して差別を見つめるという感じで、熱くもなく冷たくもなく、いい本だった。また機会があれば彼の書いたノンフィクションものを読んでみたいと思う。すぐに読めてしまうので、機会があれば是非。
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by ayako_HaLo | 2005-09-17 12:01 | books | Trackback(2) | Comments(11)
私の手元に今、一冊の小さな雑誌がある。A4サイズ40ページ。虹ネットワークという小金井市貫井南町にある発行所が出している雑誌『虹』。友人が貸してくれた。

HPに行ってみると、
●1つの組織が発行する一般的な雑誌ではなく、「共生と調和」のテーマと発行理念に賛同して参画した数10名の共同発行人の出資による、ゆるやかな連携運動体「虹ネットワーク」が発行する共同発行スタイルのネットワーク誌です。
●共生と調和をめざす21世紀の新しい生き方と、宗教(宗派)や政治的立場を超えて、教育、福祉、倫理、健康、食養、環境、農業、芸術、村づくりや企業の社会貢献活動など、幅広い分野・視点からその真理と方法論を模索していく、特集と連載からなる21世紀の生き方隔月刊誌です。
ということらしい。

今私の手元にある2004年8月号は[特集:自然農法インタビュー]として川口由一さんの『自然の理に沿った 究極の農業「自然農」』というタイトルのインタビューが20ページ掲載されている。

コンパクトに良くまとまっているように思ったので、誰かに上げようと思って、先ほどこの1年前のバックナンバー10冊と今後2年間の定期購読を申し込んだ。「ゆるやかな連携運動体」というのが、私がHaLoという制作の場を「ゆるやかな繋がりを持つメンバー」という風に考えているのに近いのかもしれない、と思ったのも定期購読してみようと思った理由の一つ。

今、ガチガチに「連帯」とか「対抗」とか言ってみても、こわばっている体も心も開くことはできないと思う。ゆるやかに繋がれるところは繋がり、一緒に何か出来るところは一緒に楽しんで何か作る、というようなそんな場が少しずつ増えたらいいと思う。楽しければきっと人は集まり、更なる楽しみを生み出すはず。

この雑誌、送料は別だけれど、一冊300円。非営利運営しているということが伺える値段。隔月発行で2年間の購読料は送料込みで4,500円。がんばってほしい。様々な側面から、共生、循環、地球を、宇宙を見つめさせてもらえたら嬉しい、と期待。

川口由一さんは全国、あちこちに呼ばれて自然農についての講演をやったり、農業実習をやったりされている。また、彼から学んだ人たちが更なる勉強会を開いたりと活動は広がっている。先週シャロムヒュッテで農業自習を受けた内容も、川口さんの言われていることと根本的には「同じこと」だったと思う。

自然農の畑や田んぼはすっごい気持ちがいいから、一度どこかに足を運んでみられることをおすすめ。私も9月23日にまた青梅の方に実習に行って来る予定。
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by ayako_HaLo | 2005-09-16 12:09 | books | Trackback | Comments(7)

東京の図書館の一括検索

図書館が好き。と言っても、一日中図書館で過ごすような利用の仕方ではなく、「ある目的を持って本を検索して、その本を借りて来る」という利用の仕方。

たまたま今住んでいるところが、3つの区の境目みたいなところだったこともあり、図書館カードは3区分作ってあって、欲しい本が置いてある区から借りている(リクエストも結構出す)。今は本当に便利になっていて、インターネットで蔵書検索し、予約を入れることができる。最寄りの図書館の蔵書じゃない場合も、希望する図書館まで「移送」してきてから、「本の用意ができました」というメールをいただけるので、いそいそと目的の本を借りに行く。

それだけでも充分便利と思って喜んでいたんだけど、相方からもっといいモノを教えてもらった。

東京都の図書館 横断検索

これを使い始めると、これまで個々の区の図書館で別々に検索をかけていたのが、イッパツ。更に、普段使う図書館になくても、東京中の図書館から検索してみれば「どこの図書館に行ったらあるか」っていうのがわかってスゴイ。

(東京都の)図書館使っている人にはオススメ!
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by ayako_HaLo | 2005-09-03 08:51 | books | Trackback | Comments(5)

自然卵養鶏法 中島正著

今年の春までは鶏を飼うことなんて考えたこともなかった。生き物を飼うことに対する恐れもあったし、東京のマンションに住んでいて飼える訳もないから当たり前と言えば当たり前。現代の日本のほとんどの人たちも私と同じように鶏を飼うことは考えたこともないんじゃないかと思う。

最初にちらっと考えたのは、7月28日に「千葉移住?」で書いた家を見に行ったときに、この貸家に小さな鶏小屋がついていたのを見たとき。あの家に住むことになっていたら、間違いなくそのうちに「廃鶏」をもらってきて卵の恵みをいただいていたと思う。

それがもう少し具体的な想像になったのが、8月25日にアップした「有機農家 中道農場でのいろいろなお話@浜松」に書いたように8月5日に浜松の中道農場の養鶏場を見せていただいたとき。手作りの鶏小屋に飼われている鶏が騒ぎもせず、臭いもしなかったのを目の当たりにしたから、場所さえあれば、売るほどじゃなくて構わないから飼ってみたい…という風に考えるようになった。私には当てはまらないかもしれないけど、中道さんは「農家としてやって行くとしたら、まず最初に金銭収入になるのは卵」とも言われたし、「「自然卵養鶏法 中島正著」。に書いてある通りに小屋を作って育てたら間違いないから…」とも言われていた。

で、今のところ「すぐに飼う」という訳にはいかないけれど、この本読んでみた。

結構読み物としても面白い。クセのある人だと思うけれど、「大規模養鶏が間違った方向に進んでいる」ことにとても腹を立てていることが分かる。「早く」「たくさん」産ませる為に、合成飼料を投入し、「動く場所を与えず」「短く太く使い捨て」。病気予防と病気対策の為に「薬づけ」。管理しやすさから「自然光、自然風、自然の大地なし、エネルギーの大量投下」。「省力多収」。養鶏工場。その卵工場から出荷された製品(工業卵)を「物価の優等生」として低価格で私たちは手に入れている。

一方、本の中で説明されているのは「平飼い」。四方を網にして自然風が通るように「地面の上」に小屋を造り、成長を急がせず「そのうち産み始めるさ」の気持ちで待ちながら、自家配の餌(粗飼料)を与える。密集させず、薬を与えず。「手間をかけて少なく穫ろう」。餌としての生ゴミ処理機能も果たす。

白い卵と赤玉の違いは単に殻の色の問題で中身に違いはほとんどないんだそうな。私は何となく赤玉にいいイメージがあったから、それは間違いであったことがわかった。ただし、平飼いで飼うのに「白レグ」と呼ばれる白色レグホーンは向かないらしい。なぜなら、この鶏は間口24cmのケージに2羽3羽と詰め込めるほど小型化し、濃厚飼料を与えれば少食多産するように「改良」されたもの。そんなこともあって神経過敏にできているからちょっとした物陰や物音に爆発的に騒ぐので、平飼いできないのだとか。彼のおすすめの赤玉種は「ゴトウ130」だそう。

また消費者としては、「自然卵」と「特殊卵」の違いも気をつけなければ、と思った。「特殊卵」は、ある特殊な方法で育てられた(ある添加物を投与とか、ビタミン剤を余分に与えるとか…)ものであって、内情は、工場卵も多数含まれているらしい。薬まみれ密集飼いじゃ、鶏たちも可愛そうだし、それを食べる私たちも可愛そうだ。

平飼いの卵は、工業卵に比べると2倍〜2.5倍ほどの値段がする。食べる量が減ってしまった私はこれで全然問題ないし、そうでない人は食べる頻度を減らしてもいいんだと思う。お財布に優しいことだけを追いかけることに疑問を挟むべし、と自戒を込めて。

スーパーで売ってる「普通の卵」を食べている人も「特殊卵」や「自然卵」を選んで食べている人も、読んでみたら読み物として面白いと思う。
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by ayako_HaLo | 2005-09-02 16:19 | books | Trackback | Comments(0)