制作プロジェクトHaLoを主宰するayakoが、音楽、写真などHaLoとしての活動について、また、mac、旅、映画、本、猫、食べ物、気になったニュースなどについて、徒然に綴ってます。


by ayako_HaLo
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

<   2005年 06月 ( 29 )   > この月の画像一覧

今日連絡をいただいたので、一体どういう内容で「朝のリレー」のCMが放送内容に含まれるのかわからないけれども、以下の番組で紹介される予定だそう。いずれもスカイパーフェクTVもしくはケーブル放送、または別の衛星チャンネルで既存の地上波放送ではないもよう。ご覧になれる方は、見てどんなだったか教えて(私は見れない)。

朝日ニュースター
7/3(日)12:00〜12:30
再放送:7/3(日)25:15〜25:45、7/9(土)6:00〜6:30

MONDO21
7/5(火)21:00〜21:30
再放送:7/6〜7/11(水〜月)9:00〜9:30、土曜のみ10:00〜10:30

GAORA
7/9(土)9:00〜9:30

モバHO!
7/4(月)7:30〜8:00
再放送7/4(月)15:00〜15:30
7/5〜7/8(火〜金)
朝1回放送

同じ一つの番組をこれだけのチャンネルで放送するみたい。

CM自体は、まだネスカフェのサイトのトップで、「音声をON」にするとラジオCMバージョン:私(ayako[HaLo])の朗読と谷川賢作さんのピアノが聞けます。
[PR]
by ayako_HaLo | 2005-06-30 13:30 | HaLo news | Trackback(2) | Comments(7)

ひとごこちがつきました

おととい(27日)、昨日(28日)と続いた東京の「まじで6月?」「まじで梅雨?」という天気がようやく今朝になってひとごこち。おととい27日〜28日にかけての夜はイキナリ熱帯夜(27度以上、28度近くあったはず)、更に28日の昼間の暑さも6月としては40年ぶりの記録更新とか。東京で36度超えたとかナントカ。東京が熱帯である(いや、熱帯になった)ことを思い知らされた感じ。まだまだ6月、という頭もあるので扇風機をタイマーで使用することも無く「窓全開(もちろん網戸)」で27日夜は就寝したけれど、朝になってもじっとり、べったり。ここ数日水風呂が気持ちよかった。それに比べて今日の朝の何と爽やかなこと。普段「梅雨かぁ、雨かぁ…」と思う時があるけれど、今朝方降り出した雨は「おぉ、雨、すてき」。待ち望んでいた。それに伴って人が心地よく眠れる気温に下がって感謝。一部他の地域では豪雨になって被害も出ているようだから、そちらでは止んで欲しいだろうな。何故こんなに極端なのだろう。熱帯ゆえ?

b0024339_11533040.jpg昨日今日の東京の気温、雨の様子はこんな感じだった。

これは、国土環境株式会社お天気情報詳細気象情報ページのデータを今の時点で切り出したもの。地域をクリックすると現在までの雨量、気温、風向風量のグラフが見れる。気温の移り変わりの折れ線グラフを見るのが好きで、時々チェックするページ。本当はこれに湿度の移り変わりのグラフもあったら文句ないんだけどなぁ。結局、体感するのは温度だけじゃなく問題は湿度と温度の関係なので。

心なしかベランダの植物たちもほっとしている感じ。←ホンマかいな。
そろそろミニトマトを収穫しなくちゃ。また、それは後日。
[PR]
by ayako_HaLo | 2005-06-29 11:56 | news | Trackback | Comments(0)

「不起立処分に反対」61%

君が代を歌わなかったらで書いたことに関連するニュース。

君が代問題の不起立処分、反対61% 都議選で本社調査
asahi.com2005年06月29日02時05分

自民党支持者以外は不起立に対しての処分には「反対」が多数を占め、若い年代になればなるほど「反対」が増える。一番支持率が低かったのが20代女性で、一番支持率が高かったのが70代男性とのこと。この記事だけでは調査方法/質問文がわからないし、各年代の調査人数がわからないので、実際どうなの?という気はするけれど、こういう数字が出て来たのは少し安心。

これは「朝日新聞」調査だからこの数字が出ていて「読売新聞」とか「産經新聞」がやったら全く違う数字になったりして…。こういう世論調査ってどうやってやっているんだろう。面接?アンケート形式?最初の調査母体が偏っていたら数字に意味はなくなってしまう。せっかくなら、ニュースで数字だけ出すんじゃなくて、調査の詳細をネットにアップしてリンクはってくれたらいいのに。
世論調査では「卒業式や入学式などで『日の丸掲揚』と『君が代の斉唱』を義務づけたうえで、従わない教職員を停職などの処分にしている」と説明し、賛否を尋ねた。
と書いてあるから、この調査は面接かな?それともその旨、質問文に書き込んであるってことか。その説明があるかないかで断然数字は違って来るだろうから他の質問にしても質問文の全文を見せて欲しいもの。
[PR]
by ayako_HaLo | 2005-06-29 09:37 | news | Trackback | Comments(0)
友人が今朝送って来てくれたニュース記事。
取材源秘匿の記者収監へ 米最高裁、証言拒否で
河北新報社2005年06月28日

報道の為の情報ソースを犯罪捜査の為に明かさなかったアメリカの二人の記者が「法廷侮辱罪」で1年6ヶ月の収監されることが決定してしまった。またニューヨーク・タイムズ、タイム両社にも罰金刑が課せられるとのこと。

報道によってしか色々な情報を知ることのできない私たちにとって、報道の自由が侵されることは、単純にとても恐ろしいことだと感じた。警察捜査という国家権力の強化であり、これによって報道の幅は確実に狭まるだろう。本人が関わっていたとしたら、匿名での内部告発ができなくなる。更に、この権利を国歌側が恣意的に利用したら…。不都合な人間を収監することができるようになってしまうのではないか。

アメリカがこの方向に向かうということは遅かれ早かれ日本がそっちに向かうのは見えていることだろう。日本の方が『「悪人」を罰し、安全で幸せな社会を作るため』とか言われたら、よりあっさり報道の自由を捨ててしまう気がする。怖いんだけど。

ーーー

和歌山のカレー事件の第二審の判決も今日出た。これは本当に私の勝手な想像だけど、「万一」彼女が主張している通りやっていなかったら…。万一彼女がコミュニティの中で一方的に「嫌われる存在」になってしまっていて、住民の感情が全て「彼女は悪人」という見方をするようになってしまったとしたら…。そして中から「ものすごく強く彼女を「排除」してしまいたい」という人(たち)が存在してしまったとしたら…。その状況の中で出て来る証言は恐ろしく彼女に不利な物ばかりになってしまうことが容易に想像できる。そんな状況に自分が追い込まれたら、「やっていない」と言っても通じない、世間の目もほぼ全員「やったに違いない」として見ているとしたら、それが自分だったら、と考えると、これも恐ろしい。想像し過ぎ?

実際のところは、近所に住んでいる訳でもないし、この件についてずっと調べているわけでもない。今日の判決を聞いて勝手に想像してみて怖くなっているだけで、私なんかには真実は分からないんだけど、あの事件の当時のテレビや雑誌の報道の凄さを今でも覚えているから、何となく尚更怖い。

この件でも万一ジャーナリストの誰かが別の事実をつかんだとしても、その事実とその情報元を捜査に全面的に提供「しなくてはならない」という風になったら、その情報は出て来るはずがないからなぁ。

収監されても情報元をリークしなかった二人のアメリカの記者は偉いんだけど、罰せられると分かっていてその行動を貫ける人たちばかりでは決して無い。私だって、同じ立場に立ったら怖くてリークしちゃうかもしれないし、逆を考えると怖くて情報を提供しなくなるかも知れないんだから。
[PR]
by ayako_HaLo | 2005-06-28 14:37 | news | Trackback(3) | Comments(5)

もやし栽培@お風呂場

数年前から時々やるんだけど、ここのところしばらく「ごぶさた」だった。久しぶりにやってみると、やっぱり「かわいい」。
ホントに手がかからなくて楽しいので、もやしがきらいじゃなかったらお試しあれ。

b0024339_133163.jpg用意するもの
緑豆:100gくらい?ざるの大きさによりけり。ざるの底面を覆う程度
ざる
ざるの下に水分が落ちても構わない容器
覆い
以上。

私のざるとざるの下に置く容器は100円ショップでセットになっていた。使い捨て感覚の100円ショップの商品、どこかにしわ寄せを行っているからこそ成り立っているコストダウンの仕組みを疑問に思いつつ、これは見つけたとき、うちにあるポリバケツとセットで使うもやし栽培の為に作ったの?と思ったくらいw。ずっと愛用しているから許して。
b0024339_1335788.jpg覆いは、ポリバケツ。
かすかに緑色の光が入っているはずだけど、まぁそれくらいは大丈夫と思う。完全遮光の覆いにしたらもしかしたらもっと「柔らかい」のができるのかもしれないけど。

栽培場所:風呂場の風呂桶の蓋の上(冬場でも適当な温度が確保できるからこれ以上に適当な場所はうちにはないと思う)

栽培方法:
1日目。緑豆が完全に浸るようにお水に浸けておく。水分を吸収して膨らむ。1.2〜1.3倍くらいの大きさになる気がする。

2日目。夏ならほとんどの豆から小さな芽(根)が出ているはず。ざるに上げて、水を切る。
このちょっと芽が出かかった段階で一手間ではあるけれども、私は一度全体を水に浸け、緑豆の「皮」を取り除く作業をしている。豆によっては水につけるだけで皮が既に取れているものもあるから、撹拌して浮いて来た皮だけを捨てる作業。これはやらなくてももやし自体の生育には関係なし。ただ食べる時まで皮があまりにも多量に残っていると食感がよろしくないだけ
今後は覆いをかけて放置。

3日目以降。朝でも夜でもいつでも構わないから一日一回、ざるの中の豆全体に水が触るようにざっと水をかける。私はいつもシャワーでさっとかけている。
b0024339_1354415.jpg5日目くらい?。様子を見て、好きな状態に育っていたら終了。ばりばりとざるから外して袋に入れて冷蔵庫保存。育っているのを見ながら、4日目、5日目、6日目と食べるのもアリかと思う。

注意点:使用する豆は、必ず食用の「豆」にすること。種用の豆には薬剤処理が施されている場合が多く、この生育方法で食べるには危険が多すぎる。種を商品として作っている人たちは、こんなことをして食べる人がいることは想定していないはず。

考察:「緑豆」が今のところ一番楽そう。他の豆でも出来るはずと思い、「大豆」には二度ほどトライしてみたけれど、生育に日数がかかること、おそらく緑豆よりもでんぷん質が多い為か、成長中に痛みやすい。痛んだ豆を除去するという作業が追加されてしまう。そんな訳でそれ以上大きな豆ではまだやってみたことがない。

疑問:売られているもやしには「皮」がほとんど入っていない。どうやって「豆の皮」を除去しているのか、とても知りたい。「薬剤で溶かしている」とか言われたらやだなぁ。

追記
コメントにてお知らせいただきました。
サラダコスモ信州工場での生産方法レポート
[PR]
by ayako_HaLo | 2005-06-27 13:12 | foods | Trackback | Comments(4)

冷房の設定温度

『たのしい不便』福岡賢正著を読んだとき、これまで「何となく」感じて少しずつ不便さを受け入れて来ていたところだったので、自分はどこかで大量消費社会と便利すぎる世の中に反発しているところがあったんだ、と気づいた。その後、何で便利すぎるといけないんだろう、とずっと考えている。

たくさん弊害はあるんだろうけど、とても自分に引きつけたところで、「逆」から考えると、不便さを取り入れることによって、色々な場面で「幸せ」「ありがたい」と思えることが増えたっていうことに気づく。極度に分業化が進んでしまった現代では、誰が何をしてくれているから「ある恩恵」を受けることができているのか、もう全く分からなくなってしまっている。

不便な生活をしてみると、その一端が見えて来る気がする。

そして、例えば家では冷房を全く使わないからこそ、自然の風が部屋にさ〜っと入って来てくれるとき、「おお〜」と歓声を上げるほどの喜びを感じるし、例えばお風呂上がりに「扇風機」の風にあたり汗が引いて行くと、「電力よ、ありがとう」と思ったりする。

街の中の冷房は過剰だ。実際めちゃめちゃ湿気が多くて暑い日に冷房の入ったお店に足を踏み入れた瞬間、一瞬気持ちよくてありがたいと思うから、みんなに対して私みたいにゼロにしろとは言わないけど、使い過ぎ。昨日ライブハウスに行って、気づいてみたら女の子のかなりの人数が長袖を着ていた。私に至っては首にスカーフまで巻いていたんだから、温度が低すぎるんだと思う。夏に温度が低すぎるというのは、もう便利を通り越して過剰。(私は飲めないけど)冷たいビールを楽しむにも、例えば「中華や」で「冷やし中華」を楽しむ為にも、季節外れの体の冷えのことを考えても、誰の為にもならないと思うのだけど、まだまだ街中の冷房の設定温度は低い。スーパーのレジの女の人なんて夏もセーター着ているからね。

政治家たちが「クールビズ」なんて言い出してるのを見るのはちょっと滑稽な感じもするし、「上」から言われないと変わらない/変えられないっていうのは、ヤバいと思う。だけど夏に男の人たちがネクタイを締め、ジャケットを着ているのを見ると、「あんたたちのせいだ〜」と思ってしまうから、そんなオヤジたちが変わってくれるなら、手段は選ばん、とも思う。彼らが長袖ネクタイジャケットを是としてわざわざ選んでいるのなら、彼ら自身が暑い中でだらだら汗を流してネクタイ、ジャケットを貫けばいいんであって、そちらに合わせて冷房がきつくなっているのは、おかしな現状だと思う。

汗を流してネクタイ、ジャケット着用をする気がないのなら、クールビズでも、開襟シャツでも、アロハシャツでも、かりゆしウエアでも何でもいいから、せめて「冷房設定の温度上げないとちょっと肌寒い」と思える格好をしてほしい。「TPO」とか言い出すんだったら、「夏」というTPOはどうしてくれるんだ。まだまだオジサンたちが色々な決定権を握ってしまっているんだから、「変」ってことに早く気づいてくれないと困る。ホントに「せめて…」という最低レベルのお願いなんだけど。外と内の温度差5度、もしくは28-30度+湿度低めくらいにしておこうよ。

冷房だけじゃなく、他にもいっぱい感謝したり感じたりすることがあるから、そのことはまた今度。一つだけはっきりしていることは、幸せな気持ちをより多く味わうには「どんどん便利さを追求して行くことではない」ってこと。「無駄な労力を省くこと」と「便利さを追求すること」は少しずつ分解して起源を考えて行くと、まったく別物。
[PR]
by ayako_HaLo | 2005-06-25 13:14 | thoughts | Trackback(2) | Comments(5)
台所から捨てる生ゴミの量がかなり減った。もともと少なかったものを残りのほとんどの部分をベランダのプランターに振りまいてしまうようになったのが、最後の大きな原因。ただこの部分は今後、プランター農園で「過栄養」として問題を引き起こす恐れあり。実験中。

普段の食生活では、玄米、押し麦、ひえ、あわ、きび、そば米、(黒米、赤米)の主食と具沢山のみそ汁。これが基本で、あと「おかず」が一品(サラダとか、卵焼きも立派に一品に数える。具入り卵焼きだと「ごちそう」な感じ)、それからお漬け物類と佃煮類。というきわめて簡素なもの。最近、相方はこの状態で会社に「お弁当」を持って行こうかな、と言って持って行き始めた。「前の晩ご飯の残りをお弁当に持って行く」のではなく、「翌日のお弁当と同じものを前の夜にいただいている」。実際、晩ご飯の用意を済ませるのと同時にお弁当を先に詰めているから、その通りなんだけど、まぁ、これでOKという人もあまり多くない気がする。

で、ゴミ。
昔にさかのぼると、例えばみそ汁の出汁をとった後の「にぼし」や「鰹節」、「昆布」は佃煮にするなど別の方法で利用出来たり出来なかったりで捨てていたときもあった。でも現在は三鍋分の出汁を一度に大きなお鍋でとり、味付けはしないまま二鍋分は冷蔵庫保存。最初の日のみそ汁には出汁をとった後の「にぼし」や「昆布」などなども「具」になってお椀に入る。大きく削った削り節を利用していた時は、一度まな板で刻んでからお鍋に戻していたけれど、今は小さめの削り節にしたので、その手間もなし。小〜中サイズのものではあるけれど「にぼし」は頭や「はらわた」を取るなんて、全くせず、そのまま。だから出汁からはゴミはゼロ。

お味噌汁。これも以前は「味噌こし」を使って、お味噌をといた後の麦や大豆などの残りかすは利用できずに捨てていた時期もあった。けれど、今は「味噌こし」でといた後、味噌こしを逆にひっくり返してお鍋に戻してしまう。だからお味噌汁からもゴミはゼロ。

普段の生活ではお肉や、骨や頭が食べられないお魚を食べていないので、肉魚ゴミもほぼゼロ。

野菜。
大根、ニンジン、ジャガイモなどなど、剥かずに済む皮は剥かない。大根サラダもニンジンサラダも皮のまま、葉っぱの生え際も刻んでる。キャベツの芯なんてそっちの方が甘くて美味しいんじゃないかなと思うくらい。葉野菜の根っこの部分も一緒に茹でたり煮たりしてしまう。ゴボウもタワシで軽く泥を落とす程度。今のところ剥いている皮は、タマネギ、ニンニク(薄皮)、里芋、山芋(これもタワシでこするくらいで大丈夫かどうか次の機会に実験してみるつもり)。だからゴミに出て来るのはほんの一部の皮とヘタ。これらも今は全部そのままプランターに行ってしまうから、生ゴミがほとんど消えちゃった。

先日ちょこっと書いた『家庭で出来る自然療法』東城百合子著の中で「全食」というキーワードに数年前に出会ってから、何かを食べる時は出来るだけそのものの「全体」を食べるようになった。だから玄米だし、全粒粉だし、皮ごと、葉ごと、骨ごと。

ものぐさだから「省力」。お金無いし自分で作っている訳じゃないから「勿体ない」。できたら「出来るだけゴミを出さないようになりたい」の全てを満たしてくれている。更に私は本当に「美味しい」とも思う。

ベランダは結構虫がいっぱいになってきた。どんどん消化してくれろ〜、と思って時々見ている。この間「アゲハチョウ」がひらひら舞って来たのも見た。スズメもベランダの手すりだけじゃなく、地面を歩いている。この間は「ふん」をしているのも見た。出来たらプランターの「中」、土の上にして欲しかったけど、それは望み過ぎか。掃除もしていないから、一般的に見たら「きれいなベランダ」じゃ絶対無いけど、ちょっと「いいベランダ」になってきた。
[PR]
by ayako_HaLo | 2005-06-24 13:02 | foods | Trackback | Comments(0)

君が代を歌わなかったら

私はこのトシになっても確固たる信条とか政治的信念を持っている気がしないから、ノンポリなんだと思う。現在の既成政党に支持政党は見つからない。見つからないと思っていることが既にノンポリじゃないとすると、ノンポリじゃないけど…。ホントは政治は好きでもないし、関わりたくもないんだけど、それじゃ、マズい感じになってきていると思う。まぁ、それはいいや。

最後に君が代を歌ったのはいつだっただろう。佐賀の公立教育を高校卒業するまで受けて来て、その間に式典での君が代の斉唱や起立を拒否したことはないし、しようかと考えたこともなかった。美旗のもとに行われて来た戦前戦中の様々なことや、その為に悲しい思いをした人たちのこと自体を深く考えていない「鈍い」学生だったし、そのことと君が代は実はそれほど自分の中で結びついていなかったんだと思う。その他大勢と一緒に、入学式や卒業式、始業式、終業式で起立して歌って来た。「君」ってなに?とは思いつつ…。大学の卒業式には遅刻してしまい(地下鉄サリン事件の日だった)式自体に出なかったから、最後に歌ったのは大学の入学式か?でも入学式で君が代斉唱があったかどうか、全く記憶に無い。あったんだろうな、国立大学だし。どうだろう。

そんな程度だった訳で、君が代に対して確固たる意思が働いていなかったから、東京都が教育委員会を通じて、学校現場での君が代の斉唱と起立を「強制」し、従わない人たちを「罰し」たりし始めなければ、私は「寝た子」のままだったような気もするんだけど、すっかり叩き起こされてしまった。君が代がどうこう…という議論の前に、教員と生徒に起立と斉唱を「強制する」、更に従わない教師を「罰している」ということについて心から恐れ、反対する気持ちが強くなって来ている。「強制」は嫌だ、怖い。「強制」されて、起立した人たちの中にも怖かったから、という人たちもいるに違いない。

私は教員免許を持っているから、まかり間違えると東京都の教育現場にいたかもしれないわけで、全く他人事な気がしない。自分ならどうしていただろうと考える。中にいたら動きにくいし、発言しにくくなっているはず…。そして「教育」というものの将来的に及ぼす影響の大きさを考えるとき、恐れを抱いている。いつか「効いて」来るはず。だからずっと注目している。

「君が代」不起立で処分受けた教諭、不服申し立てへ
2005年06月22日20時42分

asahi.com

君が代斉唱時に起立しなかったら「停職1カ月」。
更に、正式名称を忘れたけど「再教育プログラム」を受けることを義務づけられたはず。「愛国心」なんてものは、自然に湧いて来るように「国」の形を良くしていくべきなのであって、「強制」されるものじゃない。それとも強制しないと「愛」が得られないほど、民の心は離れつつあると為政者は分かっているの…?「強制」すれば「愛す」と思うの…?愛と強制は全く相容れない。尚更溝が深まるのでは…?

恋愛と似てるんじゃないのかな…。あぁ、恋愛観もそういう風で、そもそもそこに私とのギャップがあるのか…。重症だ。

「いやよ、いやよ、も好きのうち」。
今の男の人たち、ホントに「イヤ」って言ってるのか「イヤな振り」してるのか読み取れるのかな。
今の女の人たち、「イヤな振り」なんてする?? 
私はたぶんしないんじゃないかな。でも、男の人たちは、そういう「奥ゆかしさ」をまだ求めてるのかな。まぁ、私には求めてないだろうけど。
[PR]
by ayako_HaLo | 2005-06-23 12:03 | news | Trackback(1) | Comments(2)
思い起こせば数年前から、回りに「ガン」という病気を患った人たちが次々に現れ、そのうちの何人かが「生還」するという喜びを得たり、亡くなってしまうという悲しみに満ちたりして来た。原因は色々なことがあるのだろうから「どうして」とか「どうすればいい」という結論も答えも当たり前ながらない。ただ個人的にはそのお陰で、ある人が採ることになった食事療法の「食べていいリスト」「出来るだけ食べないリスト」「食べてはいけないリスト」というものを見せてもらったところから、実は病気とは離れたところで「自分が口にするもの」に向かう意識の量が加速した。

それまでも自炊はしていたし、「栄養のバランス」みたいな学校で習った知識はあるものだから、インスタント食品ばかりとか、ファーストフードばかりだった時期があった訳ではない。ましてや食べることは好きだし興味はあるし、スーパーで買った食品で「普通」に食事を作り、食べていた。恐らく「保存料」とか「着色料」などの添加物は、何となく気になり始めていたような記憶があるけれど、定かではない。

ちょうどその時期に『家庭で出来る自然療法』東城百合子著に出会う。これは実家に帰った時にたまたま母が手に入れていて、読みふけっているうちに自分でも数冊購入し、タイミングの合った友人たちにもプレゼントした本。この時は、それまで知らなかった「おばあちゃんの豆知識」「日本のハーブについて」学ぶことが出来たのを喜んで、食事を玄米菜食に近づけてみよう、と思うにとどまっていた。

まずは台所の調味料を少しずつ変えて行く。
スーパーで買っていたお味噌やお醤油、本来ならば「発酵食品」であるはずのこれらの調味料がきちんと発酵させずに「見せかけだけ」「時間を節約して」作られていることを知り、だからこそ「安く」「大量に」生産できていたのだと合点がゆく。それ以外の「みりん」「お酒」も同様。そして、全てのものを出来るだけ「精製」されていないものへと変更してゆく。「化学調味料の一掃」「自然塩」「黒糖」。一つ一つ空になったものから、少し値段は高くなっても、次に買い足す時に変更を加えて行った。一度にはやれないと思ったから。

そして、調味料の移行が済んだとき、初めて素材になる食品自体に手を出した。ベランダプランター農園をやっていたわずかの経験の中から、無農薬有機栽培で野菜を作るというのは、虫を捕ったり、堆肥を作ったり、草を取ったりと色々手間がかかり、収穫量が減ってしまうものと信じていた。「自分にとっても、地球にとっても」無農薬で栽培すること、無農薬で栽培されたものを口にする方がいいはずだから、食費が上がっても「無農薬栽培の手間と労力を取って下さっている農家の方のサポートだ」と思って来た。値段は、だいたい2-3倍。

この辺りまで来て、自分の中では色々な疑問や、自分の中で上手く説明できないことが増えて来る。無農薬有機栽培と呼ばれているものの中に「いんちき」が含まれていたり、中間マージンで値段が跳ね上がっていたり、「隣の畑の農薬まで排除できない」「地面が汚染されている問題」は、今日はちょっと横に置いておく。

まず、この2-3倍の食費を出せる人、というのはどういう人か、という問題。私は、自分の家の食品の移行作業にかなり優先順位を上げて取り組んだし、決して金銭的に豊かな状況とは言えないまでも、他を削って(化粧品は使わな〜い、お洋服もいらな〜いなどなど)その分を食費に充てることで何とかやって来た。けれど、食べ盛りのたくさんの子供のいる家庭や、他を削っても収入が本当に限られている家族は、それを「口に出来ないかもしれない」けど、いいのか?

また、仮に「無農薬栽培」の食品を誰もが手に入れることが出来るように生産側もシフトし、消費者側も少しだけのコスト高を受け入れる努力をした場合、「生産は足りるのか?」という疑問。「無農薬野菜」は現在は一部の人たちだけが食べられる量しか存在しないはずで、その他大勢の人たちが、農薬も化学肥料も使った上で「大量増産」されているもの、石油などで合成されているものを食べてくれているからこそ食糧難を逃れているのではないのか?

実はこの二つの問題は、私の中では長いことかなり大きく燻っていた。長い目で見たときに「数世代先の子供たちの為に」「地球にとって」無農薬の方がいいと直感するものの、全体として成立するかどうか、というところがいつも引っかかっていて、「自分のため」に「自分だけ」が食べる特権を使っているようで苦しかった。

そして自分なりの一つの解決方法が、今年に入ってから加速した「粗食小食」。「食べなくてはいけない」という思い込みを一度取り払い、食べる量を一時期の1/3から少なくとも1/2に減らしたこと、元々少ない外食の機会をさらに減らしたことで、実は私の家の中では全体としてみれば食費は元の水準に戻っている(もちろん、家計簿なんて私がつけている訳はないから、体感値ねw)。これも考え方の転換。

これで(つまり、他の人たちも粗食小食になったら、という、まぁ、すぐには現実的ではない仮定)、もしかしたら無農薬有機栽培で収穫量が全体として減ったとしても食料は足りるかも知れないと少し前向きに考え初めていた時に、そのタイミングで私は先月(2005年5月)「自然農法」というものに出会った。何だかほっとした。そして、これも考え方の転換だった。

「自然農法」というのはもちろん無農薬栽培だし、有機物だけで育てるという意味では「無農薬有機栽培」の範疇に入ると思うけれど、私が思い込んでいた「手間がかかる」「収穫量が減る」「虫との闘い」の全てに答えが出ている。「手間はよりかからない」し、「収穫量は減らない」し、「虫とも草とも闘わない」のだ。自然の生態系の中で採れたものを「いただく」のだから。また、肥料もほとんど施さない。肥料を与え(過ぎ)ることにより、作物の味が落ちたり、腐りやすくなったり、ある一定の虫の大量発生や病気を引き起こしたり。人間界の「過剰」状態と同じかもしれない。詰め込み/詰め込まれ過ぎ。単一作物/分業化の進み過ぎも、大いに生態系のバランスを崩しているから今まで違和感を感じていたのかもしれない。これまで頭の中で苦しんでいた私にとってはかすかな「希望」の光。もちろん、すぐにそこにたどり着けるのかどうかは、本を読んだだけの現状では未知数だけれど。

この本は、具体的に「自然農法」を指南するhow to本では無い。何故「自然農法なのか」「人間は」という哲学書だと受け止めた。「どこで日本は間違って来たか」。書かれたのは1983年だから20年以上前なのに、古くなっていない。これは、ある意味では悲しむべきことで、その後、20年何やって来たんだ?ってことでもある。でも、20年経ってようやく私みたいな「遅い」人のところにも届いたわけで、万一20年前に出会っていても中学生だか高校生の私にはきっと全く理解できなかったはず。全く私自身には縁がなかったとはいえ世の中の「気分」的にバブル直後の10年前でもまだ怪しい。

これだけ「省力」であるならば、「売る」野菜も、値段を上げなくて済む。また、個人も、場所さえあったら、自分の食べる分くらいは栽培できるかも知れない。そんな希望を持たせてくれた。また後で書くけど、7月30日から東京で上映が始まる『SPROUT』という映画とも相まって(映画自体は「農」という意味では全く関係ないけど)、私の心には「今」届いた。また別の時期に読んだら「もっと深く届く」気がしている。キーワードは「自然人になること」。何度も何度もスパイラルのように同じことを少しずつ学んでいるんだろうな。今まで、何でやっているのか分からないながらやっていたり、体が感じていたことが「あ、そういうことだったのかな?もしかしたら…」という部分がたくさん。彼の本は他のも読んでみるつもり。

自然農法『わら一本の革命』福岡正信著
[PR]
by ayako_HaLo | 2005-06-22 12:25 | books | Trackback(9) | Comments(1)

ひとことの魔法

お陰さまで、滅多に混んでいる電車に乗ることはないけれど、帰宅ラッシュの時間帯にぶつかってしまったときに、混んでいる電車に乗ることがたまにある。ホームの端から端まで歩くことになっても、出来るだけ空いている車両に乗る努力をするんだけど、混んでいる時間帯というのは、それでも自分の体と荷物の全てをコントロール下に置くことが難しい場合もある。

この間そんな電車に乗った。ドアが閉まる直前にさらに数人の人たちが乗り込んで来て、その中にその数人に押し流されるように乗って来た一人の女性がいた。「おー、がんばって乗るね〜」とは思ったけれど、自分もギリギリで乗り込むことも多々あるからそれ以上の感情は何も無かったけれど、かなり混んでいたから、その彼女と彼女が腕にかけていたバッグが「あちら」と「こちら」に引っ張られ、彼女のかばんは引力の法則とは違う形で人と人の間「宙に浮いている」状態になってしまった。それが私の目の前。「引力とは違う力が働くんだよな〜」と思っていたら、その女性が私に向かって

「すみません。大丈夫ですか?」
と声をかけてくれた。

狭いかなり混んだ電車の中。この空間の中で知らない人が舌打ちをしたり、ムカついているオーラをがんがんに出したり、ぶつぶつ、もしくは大きな声で文句を言っていたり、酔っぱらって何やら分からないことを言ったりしていることは何度も経験して、そんなことが起こってもちょっとだけ嫌な気持ちになるだけで、「いつものこと」と思っていたと思うのだけど、今日は逆だった。

彼女の腕にかけていたかばんは、革製の固いかばんだったから、角度が違っていたらもしかしたら体に当たって痛かったりしたのかもしれないけれど、実際のところは全くそんなこともなかった訳で、この空間の中で「気遣ってくれた」ことが何だかとても嬉しかった。

「あ、いえいえ、大丈夫」
と言葉を返し、めずらしく満員電車でいい気持ちになっている自分に気づいた。

ほんのちょっとした気遣い。更にひとこと声をかけるだけ。なんだけど私はなかなか声を出すことが出来ないから、この女性のことを「素敵だ」と思ってしまった。混んでいる電車という非人間的な空間だからこそ、私も「ひとことの魔法」をかけられるようになったらいいな、と思った夜だった。
[PR]
by ayako_HaLo | 2005-06-21 11:44 | health | Trackback | Comments(3)