「ほっ」と。キャンペーン

制作プロジェクトHaLoを主宰するayakoが、音楽、写真などHaLoとしての活動について、また、mac、旅、映画、本、猫、食べ物、気になったニュースなどについて、徒然に綴ってます。


by ayako_HaLo
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<   2006年 02月 ( 17 )   > この月の画像一覧

b0024339_2227625.jpgブログ/mixiの繋がりでご自宅で取れた花梨とはっさくを送っていただいた。送ってあげると言ってくださって、お願いしたのは花梨だけだったのだけど、結局「それでは〜」とおっしゃってこんなにきれいなはっさくまで。まだ花梨ハチミツも仕込んでないけれど、一個目のはっさくをいただき始めた。外の皮は冷凍保存し、中の袋、種、実はそのままごりごり食べているところ。すっぱいけれど元気な味。メールで花梨は小さいですよ、と言われていたけど、送られて来た花梨が小さくてびっくり。この間花梨の自家製酵母について書いた時に使った花梨は大きなリンゴ大の大きさだったのだけど、今回送っていただいたのは、写真で見ても分かるかも知れないけれど、小さなみかんの大きさ。こんなに小さな実をつけることもあるんだね〜。可愛い。どうもありがとうございました!

このパッケージを受け取って、思い出したのは、去年mixiで繋がったTABUCHI masayaさんから送っていただいたかぼちゃのパッケージ。b0024339_23243790.jpg自分が育てたかぼちゃを買いませんか?という告知がmixiに出ていたので、送っていただいたのが確か2005年の11月半ばのこと。これで2600円のパッケージで、やっぱりこの時もおまけに柿を同封してくださった。緑色のかぼちゃが「坊ちゃんかぼちゃ」で男の人の拳大の大きさだから、菊かぼちゃも、雪化粧もかなり大きい。ブログを見るとかぼちゃは無事に完売したようだ。送っていただいたかぼちゃのいくつか(日本栗かぼちゃとバターナッツと恐らく雪化粧)は種取りして来年栽培することも出来るってことだったので、食べるのを楽しみにしながら、同時に種も大事に乾かして使用済み封筒に貯めている。一粒で二度美味しい。うまく行ったら毎年美味しい話。順番に食べているけれど、まだ何個か残っているから、かぼちゃは保存もきく。秋に収穫してから半年ほったらかしで保存が出来る作物っていうのも素晴らしい。今年はかぼちゃも育てたい。夢は広がるなあ。

かぼちゃの種欲しい人、少しずつあげますよ。

そう言えばどちらも三重からの贈り物だなあ。
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by ayako_HaLo | 2006-02-28 23:39 | friends | Trackback | Comments(15)
以前からWWOOFウーフという言葉は知っていたし、何人かWWOOFerウーファーにも会った。だからこの本に書かれていることが、特に新しい情報だったわけではないのだけど、改めて面白い仕組みだなと思ったので、ここに書いておくことにした。

WWOOFというのは、もともとWorking Weekends On Organic Farmsの略としてイギリスで始まったようなのだけど、文字通り週末を有機農家のもとで農業体験をして過ごす、というものとして始まった。WWOOFに登録されているホストと呼ばれる有機農家は、人手(労働力)を受け取る代わりに、一日三食と宿泊を提供する。そしてWWOOFに登録されているWWOOFerウーファーは、滞在中の滞在場所と食事を受け取る代わりに一日4~6時間の労働力を提供する。どちらも金銭の受け渡しをせずに、週末だけ〜数ヶ月共同生活をすることになる。

これが一般に広まって行く過程で、農家滞在が週末だけに留まらなくなり、Willing Workers On Organic Farm(有機農家で自主的に働く人たち)に変わり、その広まりが世界に広がるにつれ、現在はWorld Wide Opportunity on Organic Farms(有機農家における世界的な機会/体験)という風に変わって来ているらしい。

いろいろなホストの人たちが登録しているようだ。有機農家だけに留まらず、自然食品のお店だったり、自然食のレストランを経営するところだったりウーファーになる側からしたら、体験できることも色々ありそう。またホスト側は、純粋に労働力を必要として登録しているところから、若い人たちに農業体験をする機会を与えたいとか、農に興味を持って欲しいとか、環境問題に関心を寄せて欲しいなど、ホストになった動機も色々。

国も、日本、韓国、ガーナ、コートジボアール、トーゴ、スロベニア、スイス、イタリア、フランス、スペイン、アイルランド、ポルトガル、デンマーク、フィンランド、オーストリア、ドイツ、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、米国、ハワイ(2003年5月現在)と、かなりの数の国にWWOOFの事務局が設置されている。

各国のWWOOF事務局は連携している訳ではなく、独立しているので、働いてみたい場合はそれぞれの国で会員登録をする必要があり、登録料は2000円〜5000円/年程度。

これまで色々な国に行って来て、そのどれも「観光」ということからは外れていたけれど、実際にホームステイをして一定期間暮らしたことがあるのは、米国とイギリスだけ(フィンランドも数日音楽家のTimo Alakotilaの家に泊めてもらったか…)。労働力を提供すると言っても、出来ることしかやれない訳だし、せっかくならお願いしてでもやってみたいことが多いはずだから、そのうちどこかの国にWWOOFerとして行ってみたいな、と思う。また日本のホストも魅力的なようだから、日本国内も回ってみたい。

大学生の頃にこの仕組みを知っていたら、あちこち行っていたかもしれないなあ。日本に事務局が出来たのが2002年ということだから、少しずつ広がって来ているもののまだまだ新しい仕組み。ホストとして登録することによって忙しくて人出の足りない有機農家側にも、その有機野菜を口にする私たちにも大きなプラスになるかもしれない。面白い仕組みだと思う。
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by ayako_HaLo | 2006-02-26 18:39 | books | Trackback | Comments(9)
ボブ・ディランを追いかけたマーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリー映画「ノーディレクションホーム」を見て来た。

途中に10分間の休憩を挟む3時間を超える大作。1960年代を中心にしたたくさんの昔の映像(ステージだったり、オフステージだったり)を織り込みながら、現在のボブ・ディランや、その友人/元恋人たちが当時を語る。

マスコミ嫌いなんて言われているみたいだけど、映像を見る限り、マスコミに始終あんな風な質問をされていて、どうやって好きになれ/まともに受け答えしろっていうんだろう…。そういう意味で、何度も笑ってしまった。もちろんそういう編集をしてあったんだけど、冗談としか見えない。

彼がどんどん大きくなって行った当時のことは、もちろん私自身はリアルタイムでは知らない。だから、映像とともに時間を追って彼の軌跡を追いかけたこの映画を見たのは、「時代」を追体験する意味でも、とても面白かった。時間さえあれば、タイプライターで言葉を打ち付ける。街で言葉を見かけると、言葉を入れ替えて、その指し示す情景が変わってゆくのを楽しんで遊ぶ。彼の中では常に言葉が回っていたんだろうな…。

当時の公民権運動の高まりや、ベトナム反戦などへのムーブメントは今の私にはわからないけれど、私自身がもし仮に当時その場にいたとしても何らかの運動の中心になったり、その活動を自分の中心に置いたりすることはあり得なかっただろうなと思う。それは、今も出来そうにない、と折りにつけ感じているから…。自分の欠陥のような気がしていたけれど、持ち場が違うってことなんだろう、とも思う。

彼が自分のやりたいことをやりたいようにやるんだ、という強い意志を突き通す姿はカッコ良かった。フォークのファンの人たちに、THE BANDとのロックサウンドがどうしても受け入れられない様子なんていうのは、今見ると不思議でさえあるけれど、当時は本当に大変だったろうと思う。変革期っていうのは、逆風が強いんだなあ。

彼の周りにいた(/いる?)「カネ」の匂いに敏感な人たち(という風に見えた)の風貌や言動も面白い。見ただけで、そんなオーラが出ているんだもの。ああいう人たちも巻き込み、逆にああいう人たちに巻き込まれない、ってこともあれだけ大きくなって尚、自分を貫き通すのには必要なことなんだろう。

渋谷イメージフォーラムで3月15日までレイトショー上映。18:30〜。¥2,000(渋谷109の2Fのチケットぴあにはまだ前売り券があった。¥1,800)。

日本語版の制作をNHKがやったみたいなので、そのうち地上波テレビ放送もされるかもしれない。ハイビジョンでは既に放送したようだ。地上波で放送される時はもう一回見てみたい。前半たぶん20分くらい気持ちよくて寝ちゃったから。
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by ayako_HaLo | 2006-02-25 00:15 | films/pics | Trackback(1) | Comments(2)
先日、友人のお宅で採れた柚子と金柑を紙袋一袋いただいた。もちろん薬などは一切かかっていない自然栽培のもの。寒さで痛んでしまったところもある、と言われていたけれど、採りたての美しさ。香りの良さ。しばらく香りを楽しんだり、生で食べたりした後、少し痛み始めたので、保存用に手を入れることにした。

写真の左から順番にb0024339_110586.jpg

柚子のジャム
1) 柚子を半分に切り、ジュースを絞り、よけておく。種ははずす。
2) ジュースをしぼった残りの皮と実は刻む。
3) 2)を一度茹でこぼす。
4) 再度水を足して蓋をして20分ほど煮る。
5) 少しずつハチミツを入れて味を見ながら20分ほど煮る。
6) よけておいたジュースも加える。更に味を整える。

金柑のハチミツ煮
1) 金柑を半分に切って、種を出す。
2) 鍋に少量の水を入れて、5分ほど金柑を煮る。
3) 少しずつハチミツを入れて味を見ながら5分ほど煮る。

金柑のハチミツづけ

全て煮沸した瓶に詰めた。柚子のジャムはシンプルなパンでも焼いて食べてみたいし、そのままお湯を注いで柚子茶にして飲んでも良さそう。パンの中に焼き込んでもいいな。金柑もちょっと甘いものが欲しいとき、喉がイガイガする時に食べよう。ハチミツづけって全く切り目も入れず単に漬け込んじゃったけど、良かったのかしら。

b0024339_1131940.jpg金柑を半分に切ったところ。きれいだなあ。金柑の種ってそれほど堅い訳でもないから、生で食べる時は種まで食べちゃってた。だから甘露煮を作るときも、種を出す必要があったかどうかは疑問なんだけど、何となく「種」というものを火にかけるのもしのびなく、せめて包丁にかからなかかった種たちだけでもベランダに蒔こうと思って切ってみた。そうしたら、こんなにきれいだったんだね。

柚子の種の方は柚子ローションなるものが作れるらしいので、別途乾燥中。友人のところでこの柚子ローションの作り方も教えてもらった。やってみよう〜。
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by ayako_HaLo | 2006-02-24 01:27 | foods | Trackback | Comments(10)

またも千葉の土地、断念

先週末は、レンタカーを借りて千葉に二泊三日。初日は内房に先日JASRACのミュージックジャンクションでお会いしたばかりの写真家/音楽評論家の石田昌隆さんの素敵なお家を訪ね、色々とお話をうかがった。いいなあ、というお家で、そこに至る出会いも時間も必要そうだな、と思う。お邪魔しました/ありがとうございました。また遊びに行きたいなあ。

二日目は、千葉自然農の会の年初の会。去年の活動報告と今年の活動計画について。そして、会員のうちの一人の方が去年自分で育てた蕎麦の実から、石臼で自家製粉をした粉を使った蕎麦打ち会。参加者全員で打ったのだけど「自分で打ったヤツがうまい」とそれぞれが自画自賛状態。実際、美味だった。汁も、その蕎麦を準備してくださった方が自分で「かえし」と「出汁」で作られたもの。「かえし」は一度に作って瓶の中に入れておき、出汁をとった後、「湯煎」にて合わせるのだとか。蕎麦は奥が深そう。最近よくウチで蕎麦やうどんを打ってみている相方と、すぐにホームセンターに寄って、最低限度のそば打ち道具を購入。これまで普通の包丁と普通のまな板で作っていたから、そば切り包丁と広い板でだいぶ環境が良くなるはず。うまいそばは、「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」とのこと。そして蕎麦も育ててみたいもの。「種子交換会」もあったので、来年栽培用の蕎麦の実も少しいただいて来た。他には、アスパラガス、ツルムラサキ、大豆、黒米、赤米、緑米、などを少しずつ。植える場所を確保しなくては。

そして三日目。二週間前に不動産屋さんに紹介されて現地見学をしていた土地を再訪問。房総半島のど真ん中(つまりかなり交通の便が悪い)に位置し、低い山の尾根と尾根の間の谷間。120坪の原野を購入すると、不動産屋が所有している隣接する元田んぼの農地を永久に年間1万円ほどで貸してくれる、というもの。値段も、前回のものに比べて十分の一程であり、お金のない私たちでも何とかなりそうな話だった。

現地を訪れて、いくつか問題点は見つかっていた。一つは片方の尾根の頂上に大きな畜産があり、現地に入った時に獣臭があったこと。これに関しては不動産屋によると、これまで何度か行ってみた時に感じたことはない、ということだったので、今回確認してみようと思っていた。二つ目は湿気。元々奥深くまで低い棚田が繋がった土地だった(現在は道路沿いの何枚かしか田んぼとして使われていないけれど)ところであり、そこに到達するには田のあぜ道を入って行くしかない。不動産屋によると4トントラックで入って土地の整備をした、そうなのであぜ道自体がそれほど日常的に使えるほど丈夫なのか、現地の湿気はどうなのか、などなどチェック項目は多い。また不動産屋によると、この土地を以前購入しようとした人は、犬のブリーダーか何かで、その集落の人たちに反対に合い、売買が成立しなかったとのこと。土地の人とお会いして色々なお話をうかがってみようと思っていた。

不動産屋と一緒に現地を見ても、気分的にゆっくり見られないから、今回は、ゆっくりと、既に竹や何の木か分からない木が生えている田んぼ(400坪)の全体を歩き回ってみた。谷の両脇に流れるしみ水の小川も行けるところまで辿ってみた。この時期だから水の量は多くはないものの、谷の奥の更に奥から流れ続け、この辺りの田の水、生活用水をまかなっているようだった。これに関しては、千葉においては魅力的な点。千葉県全体がビニールハウスで稲苗を育てた上で、米の早稲栽培をしていること、山がないので水が行政に管理されていることによって、自然農の田んぼをやろうとする時に、自分たちだけ自然のタイミングで稲作が出来るかというと難しいところが多いみたいなのだ。広さとしても半分ほどを田にして、残りを畑にすれば、まずこれから始める広さとしては十分に思われた。

小雨の中、歩き回ること1時間ほど。匂いは前回ほどではないものの、わずかに臭うことが分かった。また、何度かあぜ道をレンタカーで出入りするうちに、雨の日には前輪駆動の乗用車がスリップを起こす箇所があることも判明。そして、前回不動産屋に紹介された時に、この辺りが売る予定の原野の土地、と言われていたところは、何度も公図と見比べながら歩き回ってみると、どうやら田んぼの一部なんじゃないか、ということも判明。実際の公図上、購入することになるカモしれない原野っていうのは、細い小川の更に上の方、現在は竹林になっているところであり、不動産屋が「整地してあるからすぐに使える」という話自体が根本的に違う。そして現状ではその土地に登ってみるとっかかりさえ掴めない状態だった。

土地の人(町会長さん)に会うつもりで、事前に都合のいい時間帯をうかがい「真面目な話なら、話をしよう」と言われてこの日付を決めてあったのだけど、この日、指定の時間に再度近所から電話を入れて、その電話口で相方が言われたのは、「その土地に入る為には自分が所有する『私道』を通ることになり、生活に使ってもらっては困る。その場合は、数十年前に災害で壊れた『赤道(あかどう)』を修理しないとダメだ」←これは数十メートル分「道路」を作らなくてはならないということを意味する。「あの場所はヒトが住むような場所じゃない。例え土地自体もらったとしても誰も住まない」ということであり、近所に来ていることを伝えても「これ以上、会って話をすることは何もない」と言われて、結局お会いすることも叶わなかった。

土地自体に色々と難点があったり、紹介された場所と公図上の土地がずれているんじゃないかというような大きな問題があったりしたものの、土地の人たちとの関係が一番大切であり、難しいところだと思っていたので、近所に来ていてさえ、会っていただけなかったということで全ての答えが出た、というもの。どんなに土地自体に魅力があっても、きっとこの一件で諦めていただろうから、今回はきっぱりご縁がないってことがわかって良かったのだと思う。

さあ、またこれで振り出しに戻った。出会いを求めて、また出掛ける日々が続く。ハズ。
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by ayako_HaLo | 2006-02-22 01:01 | travels | Trackback(1) | Comments(13)
茨木さんの詩を初めてちゃんと認識したのは、中川五郎さんのライブだった。彼が茨木さんの『自分の感受性くらい』という詩に曲をつけて歌っているのを聞いた。心をむんずと掴まれたような気がしたし、心が痛くなった。その後、彼女の詩集を読んだ。

私はそれほど詩集を読んで来たわけでもないし、詩集を読むのが大好きってわけでもない。それでも彼女の詩の視線にとても心惹かれた。しっかりとまっすぐ射抜かれるようだった。

彼女の本の中に「韓国現代詩選」というものがある。50歳を過ぎてからハングルを学び始め、ハングルの詩を日本語に訳してまとめられた本だった。私はこの本の中にあった茨木さんが訳された一遍の詩「つつじ」(詩:姜恩喬)に惹かれ、自分で曲をつけさせてもらって2枚目のアルバム"yellow"に収録した。

去年の11月に久しぶりにライブで歌う機会があったのだけど、その時も、何人かの方の耳にこの歌は残ったようで、終わってから詩の中に出て来る「タルレタルレチンダルレ」というのはどういう意味ですか?と聞かれたりした。チンダルレというのは日本語に訳すと「つつじ」ということ。けれど、写真を見てみると私のイメージした、日本で見るつつじとは少し違うみたいなんだな。いつか4月にチンダルレを見に行きたいと思っている。

茨木さんにはいつかどこかでお会いできるような気がしていた。お会いしたいと思っていたから、どこかで繋がることもあるかも知れないと思い続けて来た。それが、今日聞いた訃報によって、お会いすることが叶わなくなってしまった、と知らされた。

ニュースによるとご本人の意思により、お通夜も告別式もなされないそうだ。亡くなったのも病院のベッドではなく、ご自宅でひっそりと、ということだったらしい。心からご冥福をお祈りするとともに、また近いうちに「つつじ」をどこかで歌う機会を持ちたいなと思う。生前にお会いできなかった茨木のり子さんへの思いを込めて。

たくさん素敵な詩はあるけれど「倚りかからず」、「わたしが一番きれいだったとき」、「自分の感受性くらい」が特に心に残っている。機会があったら接してみて欲しいな。今日は一人でお通夜です。

以下、ニュースサイトの記事へ
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by ayako_HaLo | 2006-02-21 00:12 | news | Trackback | Comments(5)

気候大異変

昨日と今日、実は千葉に来ていて、ビジネスホテルでNHKスペシャル『気候大異変』という2夜連続の番組を見た。

スーパーコンピューターによる100年後の地球環境予測なのだけど、ホントにヒドいことになるのを示している。単なるシミュレーションとは侮れない。天気予報というような「明日どうなるか」という予測ではないものの、今、この地球がどういう状況に向かっているか、ということについて的確に示しているように感じた。

地球は温暖化している。確実に。今回番組の中で描かれた100年後というのは世界各地で砂漠化が進んだり、大洪水、熱帯雨林の破壊と、食料危機が起きる。日本の中でも雨量が劇的に増える地域、逆に乾燥に苦しめられる地域が出て来たり、台風で高潮に都市が飲み込まれたり、デング熱に犯されはじめる。これらの予測が論文などを元にCGが作られ、リアルに映像として見せつけられ、愕然とした。しかも、このシミュレーションに用いられたCO2の排出量の増加数値は、京都議定書で目標にされた数値よりももっと世界が排出を減らすように努力したとして、という希望的観測の数値だった。

十分に絶望的なシミュレーションだったのだけど、それが希望的な数値の上でのものだった、というのが更に危機感を募らせる。京都議定書が発効されてから離脱した最大の排出国のアメリカのことを横に置いたとしても、発効以来、世界のCO2の排出量は減るどころか増えているらしい。

逆にこの危機的な状況を抜ける為には2050年までにCO2の排出量を現在の半分にしなくてはならないとのこと。どうするんだろう、私たち。そうでなければ、過去に記録がないほどの被害をもたらす天災の数々を私たちは受け入れるしかない。きっと特に貧しい人たちが受け入れるしかないことになる。私ひとりが何を出来る訳じゃないけど、出来ることはやらなくちゃ、と改めて感じた次第。

私が幼い頃、若い頃と今を比べて20年ほどしかちゃんとした記憶には残っていないのに、気候はどんどん「過激」になってきている。熱すぎるし寒すぎる。この過激さも温暖化のもたらすもの。そして私たちの体はきっと過激さに対応できない。

再放送しないかなあ。かなりリアルに描いてあったから、見てない人には見て欲しいんだけどな。
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by ayako_HaLo | 2006-02-19 22:26 | films/pics | Trackback | Comments(12)
今年に入ってから、この件、周りで少しずつ騒ぎ始めた。実は5年前、リサイクル法と同時にスタートした『電気用品安全法(PSE法)』という法律の施行が2006年の4月1日から、らしい。らしい、というのもまだ私も完全に全体像を掴めていなくて、一体何が起こるのか、良くわかっていないところもあるからなのだけど、とにかく、4月1日以降は「PSEマーク」という認証マークのついていない電化製品ここに全体像があるけれど、ものすごい範囲、種類を中古で(儲けることを目的としてとして)売買することができなくなる。
個人間の売買はOKと言うことになっているみたいだけど、オークションサイトなどはグレー。オークションで何度も出品するなど「商売」と受け取られたらアウトの模様。

私の周りで騒ぎ始めたのは直接的に(電気)楽器に影響を受けるミュージシャンたち。ビンテージと呼ばれるような昔の(味のある音を出す)機材はほとんど全てこの法律にひっかかり、今後流通が出来なくなりそうなのだ。

楽器類のことだけなら、一般の人たちには副次的な被害しかないんだろうけど(アノいい音の楽器で奏でられる音楽がどんどん聴けなくなっていくなど)、範囲は楽器に留まらず、一般の(中小)企業などで中古で購入されているような電気機械が販売/購入できなくなってしまう。それってきっと周りに関わりのある品物があるんじゃないかと思う。

古いものをどんどん切り捨てていく今の日本。古いもののもっているいいところを、まだ使えるところを出来る限り使う方向に向かって欲しいのに、古いものは捨て去り、新しいものを消費するための整備ばかりがどんどん進む。

この法律に反対する電子署名がミュージシャンの中から始まった。ミュージシャンじゃない人たちも、どんな法律なのか覗いてみて、署名をしてもらえたら、と思う。

署名はこちらから。

以下転送されて来たメールの転載
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by ayako_HaLo | 2006-02-18 20:27 | news | Trackback | Comments(2)
ここに書く機会を逸したまま去年の10月から借りていた区民農園の一角を1月末に返却した。育てていたのは大根、ほうれん草、高菜、長カブ、ワケギ、エシャロット、ニンニク、キヌサヤなど。とても順調にぐんぐん育った10月11月のあと、12月の寒さで地面に霜柱が立ったり、凍ったりしてそこで成長がストップした。

b0024339_21381552.jpg間引き菜も含めて楽しめたのは大根とほうれん草。特にほうれん草の根っこの甘いこと!売っているほうれん草は根っこを切り落としてあるけど、あれは勿体ないなあ。根っこの先まで茹でて刻んで胡麻和えに。これくらいの一回分の量が何回くらい収穫できたかなあ。結構何度も楽しんだ。
b0024339_21392659.jpg大根も大きくなったものは干してたくあんになる予定。最後まで畑に置いておいたのはこの倍の量。ベランダに2週間干して今ちょうど漬け頃。

b0024339_2142299.jpg長カブは味噌汁に。甘くて美味。
b0024339_21432769.jpg高菜は途中で何度か炒め物にして食べたけど、最後まで残ったものは「高菜漬け」に。まずは洗って水気を切り、ビニール袋の中に入れて踏んづけたりして柔らかくする。繊維が結構堅いのでこの事前の軽い塩揉みの作業は必要。写真は一回目の塩漬けの時。塩をまぶして高菜を均等に並べて重しをかける。
b0024339_2148789.jpg水がだいぶ上がって、1週間〜10日放置。その後一旦水から全て出して本漬けへ。再度塩をふりつつ鷹の爪を入れて重しをかける。1週間〜10日で出来上がり。それほど塩は濃くないからどれくらい日持ちするかなあ。現在残りは真空のタッパーにて冷蔵庫で保存中。初めての高菜漬け、結構うまく行った模様。
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by ayako_HaLo | 2006-02-17 21:56 | foods | Trackback | Comments(10)
間違い日本語第二弾。
タイトルにした「行かなそう」と「行かなさそう」どっちが正しいでしょう?

実はコレ、たまたま見ていたテレビ(NHK)で昨日やっていた。細かいことは忘れてしまったけど、ちょっと思い出しつつ書いてみる。

「+そう(だ)」を色々な品詞につけることによって推量を現す形容動詞になる。

形容詞:美しい --> 美しそう 「い」を落として「+そう」
例外;「良い>良さそう」「無い>無さそう」 「い」を落として「+さそう」
形容動詞:楽だ --> 楽そう 「だ」を落として「+そう」
動詞:食べる-->食べそう 動詞の~ますをくっつけられる形「+そう」

くせ者なのが「ない」という言葉。
「ない」が形容詞だった場合。つまり存在が「ある」か「ない」かの場合。形容詞の例外にもあるように「い」を落として「+さそう」になる。例えば「延長戦はなさそうだ」になる。

これに関連して「名詞+ない」で形容詞が作られている場合。「頼りない」「情けない」など。これらも意味的に「ある」か「ない」かの話なので形容詞の例外に含まれ、「頼りな+さそう」「情けな+さそう」になる。

語尾が同じ形容詞なので、紛らわしいんだけど、「切ない」「汚い」などは、「有る/無し」に関わらないものは、形容詞自体のルール適用で「切なそう」「汚そう」。

ここまでは、ルールはちと複雑だけど、私も納得。
で、問題の助動詞の「ない」の場合。
動詞の未然形に否定の助動詞「ない」がつき、推量の「そう(だ)」がつくとき。

行く:「行かなそう」か「行かなさそう」か
食べる:「食べなそう」か「食べなさそう」か
する:「しなそう」か「しなさそう」か
居る:「いなそう」か「いなさそう」か
聴く:「聴かなそう」か「聴かなさそう」か

自分の語感では、「あれ?どっちもありなの?」というのが第一印象。その上で、もしかしたら「ホントは「さ」が要るのに、省略し始めてるのかなあ」という「ら抜き言葉」と同じような仕組みか?と思ったのだけど、答えは「さ」が入っていない方「行かなそう」が正解。私の語感は間違っていた。しゃべる時はほぼいつも間違っていたようだなあ。

ただし文化庁が調査したところによると、半数以上の人たち(確か51%)が「さ」が入っている方「行かなさそう」を正しいと答えていて、「行かなそう」を正しいと答えた人は40%を切っていた(確か38%)。元々のルールとどっちが正しいと感じているかが逆転している現象。事実、辞書によっては「行かなさそう」とも言うと書かれているのもあるそう。こうやって言葉は変わってゆく。面白い。
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by ayako_HaLo | 2006-02-15 18:36 | thoughts | Trackback(1) | Comments(16)