制作プロジェクトHaLoを主宰するayakoが、音楽、写真などHaLoとしての活動について、また、mac、旅、映画、本、猫、食べ物、気になったニュースなどについて、徒然に綴ってます。


by ayako_HaLo
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大地震の後の一ヶ月って、本当に生存本能で生きてきたなあ、と思う。
個としての自分自身の生存本能とともに、
恐らく種としての生存本能。
どうやって生き延びるか。

頭をフル回転させながら「学び」「考え」てきた。

そんな中で、すっぽり欠け落ちていたのは、
ゆっくりと自分の身体感覚に時間を使うこと。

揺れが続いているから、お風呂も前ほどゆっくり入ってないし、
あの日の前はずっと続いていた「ストレッチ」も中断したまま。

体のあちこちが固まっていて、
ギシギシいっているのを知りつつ、
そこに焦点を当てて、広げたり緩めたりしていない。

頭と心(特に恐怖)に乗っ取られた感じ。



おととい、つくばで友人が開催しているアートワークに出てきた。
自己調整法、という自分を自分で調整するための
佐々木なおみさんがリードするアートワークだった。



つくばの公園内の小さな森の中を歩く。
頭を使わないで、自分が身体感覚のうち
どこで何を感じているのか、感じていることにフォーカスして、
どの感覚で何を捉えているか、
という指示のもと。

人間の身体に働く感覚
聴覚
視覚
嗅覚
味覚
触覚
生命感覚
運動感覚
平衡感覚
熱感覚

を意識してみる。

まず、この一ヶ月、自分の身体感覚を中心においた
時間の使い方を全くしてこなかったことに気づいた。
身体は置いてきぼり、後回し。

それを全面に持ってきてみたら、
なんと、感覚の違うことか。

無意識にシャットアウトしてきたことが
いっぱい起こっていることに気づく。

特に、身体の中心がぎゅーっと固まっていて、
痛いくらいになっていた。
太陽の日差しのもとにしばらく
その感覚を味わってみると、
今度は、身体の外側は、その光・熱に向かって
溶けていくような感覚。

あとは、拾いたいと思って拾ったものが二つ。
松ぼっくりと杉っ葉。
どちらも柔らかくて気持ちいいというタイプの物じゃなく、
手で触ってある程度の硬さ、反発を感じ
握りしめると痛いかもしれないもの。

触覚を欲していたんだと思う。

あとで解説の中で出てきたんだけど、
触覚というのは、
それを通して自分というものを感じやすいから安心する
というタイプの身体感覚、と聞いてガテンがいく。

私、安心したいと思っている。
何かちゃんと掴んでいると分かるものを掴んでいたい。


まあ、もっといろいろなこと、
思考にすぐに直結する感覚があることなども自覚しながら
いろいろなことを身体で感じてから部屋に戻る。
そして、感じたことを紙に色鉛筆で表す。
裏に文字で表す。

私たちを取り巻く「外界からの刺激」を
私たちの「身体に働く感覚」で受け取り、
それを「自分の記憶と照らし合わせたり、
考えたり」してつなげる
その自分の世界、世界観が、
また外界につながっていく

外界からの刺激

身体に働く感覚

自分の記憶と照らし合わせたり考える:自分の世界、世界観

外界からの刺激

身体に働く感覚

というサイクルが回っている・循環している。

ここ一ヶ月の私は、感覚を離れて、
「自分の記憶と照らし合わせたり考える」というところから
一歩も動かず、循環していなかったことに気づく。

そのちょっと前の自分も、
また全然別の自分ではどうしようもないことで、
相当、鬱々としていたから、
その時も、この自分の中で考えるところにとどまり続けていたんだろう。

元気なときの私は、このサイクルの中を
自由に動き回る。ぐるぐる回っている。
その回る状態を取り戻す、ということが
今の私にとって、
一つの方向性だということがわかったワークだった。


あとは、このワークを通じて、
元気なときには
自分の感覚で外界を捕まえて
それを自分の中に取り入れることをしていたらしい私は
自分の感覚に触れない「放射能」の存在を
とてもとても気味の悪いもの、怖いものとして
捉えていることも自覚した。

一方、今回放射能がクローズアップされたけれど、
実は、私たちの気づかないところで、
気づかないように、私たちに影響を及ぼしているものも
きっとあった、現在進行でも「ある」はずで、
そういう「感覚にひっかからないもの」に
どう感度をあげるのかっていうことも
私としてはやってみたい、とも思った。
書いてて、そんなこと出来るのか?と思いつつ。

でも、きっと
化学物質過敏症の人たちだけが感じてしまう
そこらへんにある化学物質だって、
電磁波を感じる人達が感じちゃう電磁波だって、
マスコミから流れてくる「消費は美徳」光線だって
サブリミナル効果だって
洗脳だって
気づく人もいれば、気づかない人もいる。

放射線自体だって、実は、コンクリートの中に含まれている
砂の種類やその量によって(花崗岩に多いらしい)、
場合によっては木の家に住むのと
コンクリート打ちっぱなしに住むのでは、
相当、違う放射線量を浴びることになるっていうのだって
今回、放射線のことを調べたりしなければ
知らなかった。

これまでだって、ずーっと、そういうものは周りにあった。
そこに「ある」ってことに気づかなかったものは
怖くはなかったんだよなあ。
わかってしまうと怖いのに、ね。

そして、中途半端に分かっているのが、たぶん一番怖い。
別の言葉で言うと、怖そうなのは分かっているのに、
どういう風に怖いのか、どの程度怖いのかっていうのが
分かっていないのは怖い。
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by ayako_HaLo | 2011-04-14 22:07 | thoughts | Trackback | Comments(0)