制作プロジェクトHaLoを主宰するayakoが、音楽、写真などHaLoとしての活動について、また、mac、旅、映画、本、猫、食べ物、気になったニュースなどについて、徒然に綴ってます。


by ayako_HaLo
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<   2011年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

ちょうど、6月4日(土)は、私が月に一回
パーソナリティをやっているラジオ番組
茨城放送IBS notes.が山田タポシ+木村さおりコンビで
午後いっぱい放送をしていた。

南相馬から何か話が出来そうだったら
連絡をください、ということになっていたので、
ちょうど、南相馬から相馬に移動する車中で
電話で話すことになった。

南相馬に向かう途中で見た作付けされていない田畑、
避難所の様子、避難している方から伺った話、
そんなことを話したんじゃないかと思う。
短い間だったけれども、話している間に
車はちょうど南相馬市の海岸線にさしかかり、
目の前には田んぼに打ち上げられた
たくさんの漁船が目に入っていた。
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時間的な制限もあり、
また、電話の向こうの
更にその向こうでラジオを聞いてくれている人たちと
自分がちょうど目にしていることとの差が大きくて
目の前に見えている情景を
言葉にすることができなかった。

口では緑の「沈黙の春」の光景を話しながら
目では灰色の「季節のない」そして
これまでに目にしたことのないモノトーンの景色を見ていた。
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15mの津波が押し寄せたのだそうで、
海岸線から数キロに渡って船が転がっていた。
一階が柱だけになった家もあった。
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あの日あの時、あの余震の中、水がやってきたとき、
ホントにどれだけ怖かっただろう。
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船以外のガレキはもと港があったと思われるあたりに
かなりの量が集められていて、
田畑にはほとんど船だけが取り残されていた。



車は相馬市内に入る。

どこが市の境だったのかはっきり分からなかったけれど、
道路脇の田んぼに稲が植えられている様子を見て、
相馬市に入ったことを知る。

相馬市は、30km圏外に位置していて、
避難準備区域にも入っていないので、
作付の制限もされていない。
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現状の作付は、市ごとに作付けOKかNGかが決まっている。
けれど、南相馬市は、汚染度の高い地域がある一方で
汚染の低い地域も存在している。

逆に作付けOKになっている場所でも、
用水路の水がどこからひかれてやってくるのか
ということまで見ないと、
汚染度の高い山から流れてくる水が田んぼに注ぎこめば
その田には放射性物質が溜まっていくのかもしれない。



現状は、いろんなことが「かもしれない」の世界。
私たちは「かもしれない」の国の住人になった。

本当はこれまでもそうだったのだけど、
それがはっきりわかるようになった。

同時に、「かもしれない」を受け入れない匂いも
そこらじゅうに漂っている。
「大丈夫」の国の匂い。

「かもしれない」と「大丈夫」の国の人達の間の
川の流れが速くなってきていて、
時々激流になっているところも見える。

「かもしれない」と「大丈夫」の分布図は、
いろんなふうに出てきていて、
オトコっぽいひととオンナっぽいひとだったり、
科学的なひとと感覚的なひとだったり、
立証されてないことは存在しないと考える人と
そうかもしれないなら、あり得ると考える人と
経済が立ちゆかなければ未来はないと思う人と
みんなの健康を大事に出来なければ未来はないと思う人と


でも、ホントは私も両方の国に住んでいる。
違う階層で、違う国に住んでいたりもするし、
その階層でも、ただどっちの国に長くいるか、なだけ。

頭を「かもしれない」で働かせて
心と体を「大丈夫」の国に安定させたい。

ホントはすぐにでも全身「大丈夫」の中に浸りたいけれど、
どうも私はそういう風には生まれ付いていないらしい。

(このページ、写真は全て友人による)


前の前の日記を読んで、ご家族を南相馬の津波でなくされた方が
この記事を知らせて下さった。
お兄さんが取材を受けたものだそう。
言葉がない。
http://flat.kahoku.co.jp/u/blog-seibun/WY8Be6AkIyK04GrFPDHx
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by ayako_HaLo | 2011-06-08 22:56 | travels | Trackback | Comments(0)
あまり沢山の人達からお話を伺うことは出来なかったけど
南相馬市の避難所に避難されている一人の男性からお話を伺った。

南相馬市南部の小高町に住んでいた。
原発の爆発があり、飯舘村に逃げた。
その後、飯舘村の水の汚染の情報などが入り、
村から自主避難してください、と言われた。

17日頃、要介護の母親を連れて妹のところに向かおうと移動。
途中の避難所には入れなかったので、
ビジネスホテルに二泊。
白河に自力でアパートを借りた。

21日頃、白河の避難所に登録。
朝昼晩おにぎり、パン、りんご、毛布など支援物資をいただく

5月に入って、新白河の借り上げアパートに移動。
14日に6点セット*を頂く。
27日に南相馬に帰ってきた。

しばらくいた白河と比べて南相馬は支援物資がない。
はみがき、ヒゲソリなど日用品の支援がない。
白河では支給してもらった下着、バスタオル、靴下などもなく
自分で買いなさいという指示がある。

市町村からは一世帯あたり40万円の見舞金をもらった。
東電からは一世帯あたり100万円の仮払金をもらった。
一世帯あたりなので、2人家族でも
自分のように6人家族でも同額。

新築で建てたばかりの家に戻れない住めない
仕事もない状況の中、細々とした日用品でさえ
6人家族の自分としては重い。



先に伺っていた、南相馬市の職員さんの話と総合すると
もしかしたら、南相馬市には支援物資が他のところほど
届いていないのかもしれない…(未確認)

話をしてくれた男性によると白河の方では
潤沢に支援物資があり、靴までいただいたそう。

支援物資の届き方にばらつきがあり、
あるところには余っていて、ないところにはない
という状況は続いているのかもしれない。

世帯あたりでの義援金、仮払金の支払いというのは、
大家族に厳しい話になる。

日赤から支給される6点セットというのは、電化製品ばかりなり。
電子レンジいらないから、ガスコンロ。
電気ポットいらないから、やかん+保温瓶。
テレビいらないからパソコン。
炊飯器いらないから、米。
の方が個人的にはいいなあ。

などなど。



*6点セットとは。
洗濯機、冷蔵庫、テレビ、炊飯器、電子レンジ、電気ポット。
日赤が仮設住宅や自治体が借り上げたアパートなど
「応急仮設住宅」で暮らす被災者に贈っている。

ただ、こんなニュースも。
毎日jp『避難の現場から:東日本大震災 家電「もらえない」 対象仮設だけ、社宅入居者ら嘆き』
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by ayako_HaLo | 2011-06-08 11:31 | travels | Trackback | Comments(0)
6月4日(土)、5日(日)の一泊二日で
福島県南相馬市〜相馬市、飯舘村、浪江町に行ってきた。
言葉にならない「やり切れなさ」を抱えながら、
まずは、この時点で、とりあえず何か書いておこうと思う。

今回は奄美在住の友人が、ナチュラルハーモニーという
自然栽培の無農薬野菜を扱う会社から提供されたお野菜を
被災地に届けたい、そのお野菜で作った料理を現地で
必死に働くボランティアの人たちに食べてもらいたい
ということで動き始め、そのお手伝いという形で実現した。

一時は、避難所にいらっしゃる方たちへの炊き出しまでやるか、
というところまで話が膨らんだものの、
現地のニーズや、細かな様子などが分からない中
やるのは難しいということで、次回以降に持ち越した。

今回は下見と、ボランティアの人たちへの食事作り、
避難せずに線量の高い計画的避難区域に今も暮らす人たちに
お野菜を届けるチーム4名と、
避難所で整体とタイマッサージのボディケアをするチーム2名、
都内から現地、現地での運転を一気に引き受けてくれる
敏腕ドライバーでもある写真家1名の
全部で7名でお邪魔した。

受け入れをしてくれたのは、NGO アースデー奄美。
http://www.econakoto.net/earthdayamami/

原発から23km地点にある原町第二中学校内に部屋を置き
20〜30km圏内のグレーゾーンの人たちに救援物資を届けるなどの
人道支援を行い、更に、専門部会、HCR Heart Care Rescue を
立ち上げて心のケアを専門にした医療支援サービスを
行っているところ。

今回の震災を受け、急遽、アースデー自体を奄美で開催するより
現地に入り、サポートをすることを選んだ団体。



6月4日(土)

本来ならば、うちからは常磐道でたどり着けるはずの南相馬市へ
東北道経由で向かう。常磐道は常磐富岡ICより北は震災以来
復旧していない。

都内からやってくる車に同乗するため
東北道、佐野サービスエリアで待ち構える。

合流してから途中一回トイレ食事休憩を挟んで、
4時間半くらいかかって、南相馬市原町区、原町第二中学校に到着。

早速、避難所である中学校内にある南相馬市の窓口にご挨拶に伺い、
翌日のマッサージの打合せを兼ね、少しお話を聞かせていただく。
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まず、南相馬市発表の6月4日(土)当日の放射線量は0.5μSV/h。
海辺の方では0.2程度と低く、山の方は高いそう。
 この値0.5μSV/hは、事故以前と比べると10倍程度の値。
 単純に24時間同じ線量を浴び続けると一年間で
 4.38mSVになる。
 (震災以前の日本の年間被ばく限度は1mSV/年なので、
 その4倍ちょっとということになるが、震災後、
 非常時設定として20mSV/年が設定され、
 その範囲内には収まる)

南相馬市は、鹿島町、原町市、小高町が
平成18年1月に合併したばかり。

原発からの距離が20km圏内、
30km圏内、それ以外にまたがり、
沿岸部では津波による被害も大きかった。

現在は緊急時避難準備区域に指定されていて、
学校関係、医療関係は、閉鎖され、
田畑の作付けは禁止されている状況。

学校に通う子どものある家庭は、新潟県や福島市に
避難している状況が続いている。

現在、20km圏内に住居のある世帯に関しては
一世帯あたり、一回に限られた一時帰宅を
3000世帯に対して地域ごとに行っているところだけれども、
持ち帰って来れる量は、70cm3一袋だけ、と
わずかに限られている。

自宅にどんなにお米など食糧が置いてあっても、
現実的には運び出して来れない状況。

お話を聞かせて下さった市の職員の方は、
危険か、危険じゃないところか分かるためにも
計測するモニタリングポストを増やしてほしいが、
細かくわかっても、安全か?というところは
やっぱり分からないことが多く、
大丈夫かどうか分からなくて待機している状況だ、
と言われていた。

この避難所にいる人の数は160人くらい。
原発からの距離が近いことで、
物資が入ってきにくい。
ようやくひと月ほど前に、宅急便など民間の運送会社も
配送を復活させてくれたところ。

あまりにもたくさんの方たちが一度に亡くなって
おくやみもお葬式も出来ない状況だった。
大きすぎて悲しめていない。
こうやって訪問していただくのがありがたいし、
どこかで伝えていただけるのなら、
少しずつ一歩ずつ前進しているようです、
と伝えて下さい、とのことだった。
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避難所の食事は、前日の午前9時までに申し込む必要があり、
朝:パン二個と牛乳200ml
昼:お弁当とみそ汁
夜:お弁当とみそ汁
というもの。お弁当は市内のお店が作っているとのこと。
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お風呂は校舎の裏に仮設の薪で湧かすお風呂があり、
週に何度か準備している様子だった。
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by ayako_HaLo | 2011-06-07 21:37 | travels | Trackback | Comments(0)