制作プロジェクトHaLoを主宰するayakoが、音楽、写真などHaLoとしての活動について、また、mac、旅、映画、本、猫、食べ物、気になったニュースなどについて、徒然に綴ってます。


by ayako_HaLo
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話をするのが好きな人だったので、昔の話もたくさん聞かせてもらったのだけど、私の記憶力が貧弱なために、間違って理解してたり、忘れちゃったりしているところがたくさんありそうだし、あえて、話さなかったこともあったみたいだ、ということを断った上で、書いておこうと思います。

中学は途中で行かなくなった、という話でした。中学は、出席せんでも卒業させてくれるんやなあって言ってました。最終学歴は中卒です。学校に行かなくなって何をしていたかというと、あちこちのコンサート会場に出没したり、学生運動の「伝令」になったりしていたそうです(中学生だからバリケードをくぐり抜けるのも簡単だったとか)。パトカーをひっくり返したり、公権力に対して、かなり手荒なことをしていたらしい話も聞きましたし、逆に、手荒なこともされていたようです。

音楽の世界に仕事で入ったのは、そんな頃だったようで、一番最初の仕事は美空ひばりさんのステージ袖に控えていて、ひばりさんが、ステージに出られるときに、マイクを渡す係だったそうです。タイミングよくマイクを渡すことが出来て、褒められた、と言っていました。レコーディングエンジニア、音響の道に進んだのは、そんなふうに最初の仕事が音響関係だったから…という理由で、その時に、舞台の仕事をしていたら、舞台の仕事についていただろうな、とも言っていました。

どちらにしても、表に出て何かをするというよりは、完全な裏方の人でした。

友達から借りたギターをこっそり売っぱらって旅費を作って(大げんかになったそうですが)ウッドストックに行った話や、あちこちのコンサートに忍び込んだ話も聞きました。言葉も出来ない状態で、NYのスタジオに入り込んで、文字通り仕事のノウハウを見て盗んでいるうちに、仕事をやらせてもらうようになったとも言っていた気がします。

自分のエンジニア、プロデュースの師匠はイギリス人のSteve Nye(スティーブ・ナイ)だとよく言っていました。この人はペンギン・カフェ・オーケストラのメンバー、プロデューサー。ペンギンカフェのサイモンは、藤井さんが京都時代にやっていたカフェに時々出入りしていたとも言っていたと思います。

スティーブに教わったことは、プロデュースするときに、プロデューサーの色が強く出るのではなく、アーティストが一番気持ちよく本人が表現したいことが素直に表に出てくるように、その環境を整えることだ、と。だから、アーティストが違えば、全く雰囲気の違うものになって当たり前だ、と、そんなふうに言っていました。プロデュースする、ということは、生半可なことではなくて、全方位に対して責任を追うことだから、そんなにたくさんやれることじゃない、これからの自分の人生の中で何枚やれるかだ、と、HaLoのプロデュースをすることになったときに言われました。HaLoのアルバムは"blue", "yellow"に藤井さんの名前がプロデューサーとしてクレジットされていて、"green"は途中になってしまいました。その後、何人かプロデュースする準備をしていたようでしたが、はっきりプロデュースした作品と聞かされたものはなかったので、HaLoが最後だったのかもしれません。

「色をテーマにアルバムを作りたい」初めて私がやりたいことを伝えた時は「意味が良くわからない」と言われました。直前に沖縄の座間味という離島に行って、その海を眺めていた時「見たことのない青だ!」と心を動かされ、自分の持つ「色」のイメージというのは「拡張するんだ!」という体験をしたのがきっかけで思いつき、東京に戻ってきて興奮気味に語る私の言葉は、感覚だけ並べ立てたものだったのかもしれません。自分の持つ色のイメージが拡張するということは、それぞれの人が持っている色のイメージは微妙に違っているはずで、それが違う国で、違う文化で生活してきた人との間だったら、重ならない部分がきっとたくさんあるはずだから、いろいろな国のアーティストたちと、その人達の持つ色のイメージを音にしてもらってアルバムを作りたい。色のグラデーションを音で表したい。私のこのイメージが伝わった時は、とても面白がってくれて、よしやろう!という話になりました。ほぼ時を同じくして、たまたま知り合った大手レコード会社のディレクター・代表取締役が、このアルバムを出したい、という話になり、本格的にアルバムの制作がスタートしていきます。その時には、既にblue, yellow, greenの三部作にする、ということまで決めていましたので三作セットでという話で進めました。

このプロジェクトの途中で、このレコード会社とはいろいろあるのですが、その話はまた別の機会にするとして、今は録音の話だけにしようと思います。

一枚目は沖縄の海でインスピレーションを受けた「青」にする、ということも決まっており、既に、アルバムのジャケット写真のイメージも私の中にありました。海で泳ぐ私のシルエットの背に太陽の光があって、それを下(海中)から写す、というものでした。海+太陽という自然物では、コントロールが出来ないから、プールを借りて撮るのではダメなのか?と言われましたが、私はダメだと。それが難しいかどうかよりも、表現したいものがあるわけですから、プールで人工灯で太陽を作った写真なんか、ありえないわけです。藤井さんとしても、プールでやろう!というよりも、私の意向の確認だったのかもしれません。そんなこともあって、そのジャケット写真をまずは撮影しようということで、座間味に飛んで撮影しました。(どんどん長くなるので、この撮影の話も、また別の機会にしますか…笑。どんだけ書く気やねん、と自分で思っています)

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このジャケット写真の撮影と平行して、blueでは、どんなアーティストとコラボするかという準備も進めました。blueなイメージのアルバムを何枚か勧められて聞いたり映画を見たり、この人はどうか、というアーティストの音源を聞かせてもらったり。フィンランドのカンテレというテーブルハープの音を聞かせてもらって、おー、これは是非blueに!と思っているタイミングで、各務、海老原夫妻のお宅にフィンランドのミュージシャンをマネジメントしているphillip pageが来ているということで会いに行ったり。思い出すとホントに色んな方たちに出会いをつないでもらいました。

そんなこんなで、だいたいやりたいメンバーが出揃って来て、そのアーティストたちに一緒に録音したいというラブレターを書いたり、説明するために撮影したジャケット写真を持って直接ロンドンのアーティストを訪ねたり、グラスゴーのフェスティバルに来ていたフィンランド勢に会いに行ったり、そんな準備に結構な時間を費やしました。そして、実際の録音も、一ヶ月半ほどの海外スケジュールの中で、ロンドン、ヘルシンキ(フィンランド)、ドノステア(バスク)でいくつかのセッションのスケジュールをパズルを組み合わせるように設定し、東京、クアラルンプール(マレーシア)の録音も組み立てていきました。連日、メールやファックス、電話でいろいろな人たちとやりとりを重ねた日々でした。

HaLoに関しては、ミックスは全て藤井さんでしたが、録音に関しては、世界のあちこちで録音する、というコンセプトだったこともあって、全てを藤井さんが録音したわけではありません。ただ、録音物の管理は全て藤井さんがやってくれ、一枚目のblueの録音時(1998年〜99年)は、まだアナログマルチテープを使用していましたから、テープの量・重さだけでも大変なものでした。私では片手で持ち上げるのが難しい重さの一本のテープに15分しか録れないので、本数も必要です。そのテープを何本も担いで、海外のスタジオを何箇所も移動するのは、大変なことだったと思います。それでも、タイミング的に一枚だけでもアナログ録音でアルバムを制作することが出来て、その体験が出来てよかったよね、と後から時々二人で振り返ったものです。

blueの録音はアナログで行いましたが、ミックスは、プロツールスというデジタルのミキサーの中で行いました。ちょうど、パソコンの中のソフトで録音とミキシングができる、そんなソフトが幾つか出てきたあたりで、私にはちんぷんかんぷんでしたが、よく他のエンジニアの人たちと、情報交換をしていました。その中で藤井さんが選んだのはプロツールス。blueのミックスと、それ以降の録音はプロツールスのお世話になることになります。

ミックスも、プロデュースの話と同じで、ド派手なミックスをすることはまずありませんでした。ボーカルをドカンと全面に出すこともありませんでしたし(これは、レコード会社と、ギリギリの交渉を要することもありましたが…)、耳に残すために神経に触れるような音の立て方をすることもありませんでした。そんな静かなミックスが私も好きでしたから、ミックスで意見が対立したり…ということは全くなく、まず藤井さんの考えるミックスが固まってきた段階で聞かせてもらって、私がもっと聞きたい所、もっと立体性がほしいところ、そんな微調整をやってもらう、そんな感じでミックス作業をしました。

マスタリングは、ロンドンのメトロポリスマスタリングというスタジオのTony Cousinsにお願いしました。この人は、藤井さんが自分でプロデュースした作品の仕上げをお願いする数人のマスタリングエンジニアの一人で、HaLoにはこの人、という感じで決めてくれました。それまで、マスタリングって何するの?という感じだった私も、トニーの手にかかる前のミックス音源(穴が空くほど何度も聞いている音)とマスタリング済みで返ってきた音の「輝き」の違いに驚いたものです。藤井さんも、信頼しているマスタリングエンジニアの手に最後を委ねることができ、返ってきた仕上がりに満足しているようでした。

録音に関しては、それ以前にも、移動できる録音機材を持ち込んで、響きのいいホールなどで録音していたようですが、そこからは、私のプロジェクトでも場所をスタジオと限らずに録音し始めます。私の場合、多かったのは、ミュージシャンの自宅。特に海外のミュージシャンの場合は、自宅が広く天井が高くていい響きだったり、周囲の音がほとんど気にならなかったり、リラックスできたり、録音終わってすぐにご飯作って食べられたり、スタジオバジェットが節約できたり、いろんな理由から自宅での録音も増えていきました。アルバムのための録音じゃなかったけれど、東京では、La Cana(下北沢にあるカフェ)でも録音させてもらったり、ロケーションレコーディングの思い出は、それぞれにたくさんあります。(それも、また機会があったら書こうかな…)

写真は藤井さんがスタジオ以外で録音するときに使用していたプロツールスのセット。(これは多分BOOMのコンサート録音@日比谷野音の時かな)これより後のセットがあるかもしれないけれど、HaLoの録音その他で私がずっと一緒にいた1999年~2005年頃使っていたのはこれでした。このPowerBookはもともと私のもので、状態が良かったので、録音専用として藤井さんの手に渡ったもの。

急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと01(出会い)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと02(生死に関わること)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと03(今現在)
急逝したレコーディングエンジニアの藤井暁さんのこと04(録音のこと)

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# by ayako_HaLo | 2013-11-30 02:28 | friends | Trackback | Comments(2)
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ここ数日、毎日、とても仲が良かった友人で、レコーディング・エンジニアの藤井暁(藤井さん)のことを思い出し、少しずつブログに書いたり、共通の親しかった人たちに、訃報の連絡を入れたり、メールアドレスが変更になって連絡がつかなかった人たちの連絡先を探したり尋ねたり、そんなことをしてきました。そんなこんなで寝不足気味です。

DNA鑑定はまだ時間がかかるようですし、偲ぶ会の日程もまだたたない中、ある友人に言われて「そうだな」と思ったのですが、きっと一人でお通夜をずっとやっているんですね。故人の生前のいろいろなことを思い出し、それを話したり聞いたりして泣いたり笑ったりする、故人がつないでくれたご縁に感謝する…、それがお通夜の場だろうと思います。何人かの方とは、直接会ったりお電話でだったりで、お話をすることが出来て、少し気持ちが楽になった部分もあるのですが、まだまだ全然語り尽くせていないし、まだまだ知らない部分が多い人だった。だから、偲ぶためのそういう場はいずれほしいと思っています。今は、それがまだ持てない中、一方的にブログで発信の方だけをやっている。そして、読んでくださっている方たちも、きっと同じように、読みながら偲んでくださっているのを感じています。

訃報の前に、もともとスケジュールされていたライブでしたが、このタイミングで今週末に歌うことになっていましたので、その場を、勝手にこっそり藤井暁追悼ライブにしようと決めました。また改めて、こっそりじゃない追悼ライブもやれたらいいなと思っています。

特定秘密保護法案も衆議院を強行通過してしまったこのタイミング。藤井さんが生きてたら、これに関連するニュースをバンバン私のところに送ってきてたと思います。そんなことも含めて追悼しつつ歌います。

日時:2013年12月1日(日)16:00〜(めがね〜ず、という別のバンドが15:00〜演奏)
料金:ワンドリンク ¥500
場所:東風舎(EAST WIND)
        〒309-1611 茨城県笠間市笠間2192-3 TEL&FAX 0296-72-5205


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# by ayako_HaLo | 2013-11-29 00:59 | HaLo news | Trackback | Comments(0)
藤井さんはとても猫が好きでした。猫だけじゃなく、動物が好きだったのかもしれません。この話はまた改めて書こうと思っています。

ご自宅で亡くなった状態で発見されたので現在DNA鑑定中で、現在、藤井さんのお骨は世田谷区の豪徳寺の無縁塔というお墓の中に安置されているそうです。

豪徳寺といえば、招き猫。藤井さんも好きだったお寺で、私も一緒に行ったことがあります。大小様々な招き猫がものすごい数いるお寺です。そんなところにお骨が運ばれるように考えていたわけじゃないだろうと思うんですが、なんとなく、そこまで計画していたのかな…と思わせられる、そんな人でした。魂みたいなことは信じてなかったけど、信じる、信じないにかかわらず、もしかしたら今、身体から魂が抜けた状態でいるかもしれません。だとすれば、豪徳寺に安置されていることを喜んでいる気がします。自分が信じてないと公言していたくせに、まだお参りにも行っていない私を冷たい、と思ってるかもしれません。(ごめんね、そのうち行くね)

お問い合わせをいただいたので、「無縁塔というお墓の中に」という部分を追記しました。

写真は、沖縄で仲良くなった猫だと言って2008年5月に送ってきた猫の写真。珍しく自分の足が写り込んでいました。

急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと01(出会い)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと02(生死に関わること)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと03(今現在)
急逝したレコーディングエンジニアの藤井暁さんのこと04(録音のこと)

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# by ayako_HaLo | 2013-11-28 03:32 | friends | Trackback | Comments(0)
藤井さんは、とにかく話をすることが大好きでした。(海外でも相当仕事をしていましたが、基本的に京都弁しか話さないので、海外の一部の人たちは、彼を寡黙な人だと思っているようですが、常に話したいことが満載の人でした。私とは時間を忘れて話し込んで次の予定に遅れそうになったり、電車の中で話し込んでいて、目的地で下車し損なったりはよくあることでした。ただ、彼の中に「寡黙な」部分はあったので、間違いとも言い切れないけれど)

トピックの幅は、もちろん一番多かったのは音楽関係の話だったけれど、それだけでなく、料理のことから、建築のこと、写真のこと、本のこと、デザインのこと、などなどのアート全般、科学、化学、宇宙のことなど理数系分野、そして、心理、社会学、民俗学、政治のことなど、文系分野のこと、その時に話題に上ったいろいろな話を、いつもいつもしていました。

自分の家系のことについても、何度か聞きましたが、大陸から京都に渡ってきた移民の末裔で、家系図で見るとずっと行李などを作る「箱屋」をやっていたそうです。藤井の藤の字は平安時代の京都の貴族、藤原良相(よしみ)って人から一字もらったらしく、それと箱屋の「井」を合わせて藤井なんだと言っていました。

日本に渡って来る時に、たくさんの馬や人が亡くなるような旅だったことが記録に残っているとも。そんな1000年単位の昔のことを、見てきたかのように話す人で、もう何十年もハサミを入れてない長い黒髪の風貌や、写真を撮られることをものすごく嫌がることとも相まって「きっと妖怪だから不死身だ」というイメージがありました。だから、こんなに急に逝ってしまうなんて、全く想像もしていませんでした。

写真を撮られるのを嫌がるのは、実はテレポート出来たり、複数ボディがあるので、時間と場所が特定されてしまう写真に残るとまずいのか、とか、そんな冗談も本人に向かってしていましたが、笑っているばかりでした。

あちこち仕事も含めて一緒に旅行に行ったのですが、その時に、死んじゃってもおかしくなかったということが二回ほどありました。

どちらも、仕事というよりは、撮影とか、打ち合わせとかにかこつけた、リラックスメインの旅だったのですが、東京にいるときに、殆ど寝ないような仕事中心の生活をしていて、それから、ぱっと開放されるため、体調を崩したのかもしれません。

一度目は、バリ島で。
彼は、幼少の頃(確か9歳の頃)、一人でガムランを習いにバリ島に行って、お師匠さんのところに住み込んでいたことがあったそうで、大人になってからもバリには何度も通っていたようでしたが、そのうちの一回に同行したことがあります。

ウブドにしばらく滞在したあと、アグン山の麓にあるグリアスマルンというバンガロー(http://www.geriasemalung.com/index.html)に入ってから、体調を崩し、高熱が出てうなされるような状況になりました。病院に行ったり、医者にかかったりすることを嫌っているのは知っていましたが、かと言ってそのままにするわけにもいかなかったので、現地の中国人のお医者さんに往診をお願いしました。

このお医者さん、バリ島の人たちからは、ほとんどお金を取らずに診療し、外国から来た人からは、ある程度の金額を得るという方針の方で、薬代も含めて、日本円で1万円ほどお支払いしたように思います。結構いいバンガローの一泊二食付きの料金が1,000円ほどだったので、結構な金額ですが、この方針を藤井さん自身はとても気に入り、元気になってから、いいお医者さんに出会えたと言っていました。

バリ島の民間療法的なことで、熱があるときは生のバナナの葉っぱを切り取って額に当てるといいと聞き、あててあげると、これは気持ちよかったらしく当てたままにしていましたが、別の「玉ねぎをすりおろしてその中にいろいろなスパイス(薬草など)を混ぜて、背中に直に塗る」というのは、予想通り嫌がってやらせてくれませんでした。

数日、高熱にうなされていましたが、なんとなく「この人は死なない」と思っていた部分もあり、ずっと側についていたって状況は変わらないだろうと、冷たく、外に遊びに出歩いていた私と違って、私たちがバンガローに到着する前日に迷い込んできた子猫は、ずーっと側にいてくれて、こっちの世界に引き戻してくれたとあとで言っていました。写真は、ブラン(インドネシア語で月の意味)と私が名づけたその子猫。青いブランケットの山は、実は初めて口外しますが、藤井さんの足です。(部分であっても写真を撮られるのをものすごく嫌がったので、めったに撮らないのですが、この写真は別格でした)
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この子猫ブランの写真は猫のポストカード集の中にも一枚収め、そして、一枚目のアルバムblue(http://amzn.to/1cl3OjZ)の紙ジャケットにも収めました。そして、同じアルバムにbulanという、この子猫のことを歌った曲も書いて収録しました。

あとで本人に聞くと、あっち行ったりこっち行ったり、生死の境をさまよっていたらしいのですが、ブランが引き戻してくれ、宿のスタッフに何とか車で空港まで二時間かけて送ってもらい、飛行機に乗って帰ってくることが出来ました。ほら、やっぱり死ななかった、という体験でした。

二度目は、中国の雲南省、昆明で。
こちらは、中国琵琶の名手、Liu Fang(https://www.facebook.com/liufangmusic?fref=ts)の故郷。しばらく前に出会って仲良くなったLiu Fangが現在暮らすカナダから、実家の昆明にしばらく帰省すると聞いて、そのタイミングに、共通の友人のJing Yuと二人で押しかけました。

Liu Fangの旦那さんのRishengとJingと私の確か三人で、雲南省をあちこち旅行をしてから昆明に戻ってきたところに、藤井さんが合流してきました。Liu Fangのお宅でのホームパーティまでは参加していたような気がしますが、その後倒れ、ホテルの部屋で高熱でうなされることになりました。意識も朦朧としている状況だったので、まずは、ホームパーティに来ていたLiu Fangのお知り合いの漢方の気功のお医者さんにアポイントを取って診てもらい、土瓶で煎じて飲む漢方の生薬をどっさりいただきました。その上に、西洋医学の病院でも診察してもらい、そっちのお薬もいただき、ホテルの部屋で静養することにしました。漢方の生薬は一体何が入っているのか、私なんかには全く分かりませんでしたが、なんだかすごそうな薬だ、という匂いがしていました。毎日Liu Fangの実家で煎じてもらってはポットに入れてお部屋に届けていましたが、かなりの量が入っていたため、夜、ポットを取りに行くと、まだ残っていることがありました。ある日、どんな味の、どんな薬か興味があった私と友人のJingが一口ずつ飲んでみたら、一気に体がかーっと熱くなり、酔っ払ったようなトリップしちゃうような、そんな薬で、二人で部屋でハイになった記憶があります。

そんな薬を飲んだおかげか、この時も、無事に藤井さんはこっちの世界に戻ってきました。あとで聞くと、私たちがこっそり飲んだあの漢方の生薬の薬のお陰で(すごい強い薬だった、と)、いろんな世界を見てきたと言っていました。この時も、ほら、やっぱり死なない、という経験を重ねたことになりました。

どっちの経験を経ても、本人は「誰しも死ぬときは死ぬんだし、死んじゃったらそれでおしまい」そんな風に言っていましたし、死んだあとの世界はないと考えているようでした。また、死ぬときは、ちゃんと準備しておいて阿片窟に入って死にたい、とも言っていましたが、「そんなにうまく希望通りに行くわけないじゃん」と私がいつも言っていた通り、実際には、阿片窟に入る願いは叶わなかったみたいです。

それでも、最後まで自分の部屋で大好きなMacの中で録音データを編集作業している時に、おそらく何らかの発作が起こり、そのまま横になって眠るように安らかに旅立った様子だったと聞き、かなり本人の希望通りだったように思います。ただ、ちょっと早すぎたし、突然過ぎたよね。

急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと01(出会い)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと02(生死に関わること)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと03(今現在)
急逝したレコーディングエンジニアの藤井暁さんのこと04(録音のこと)
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# by ayako_HaLo | 2013-11-26 01:50 | friends | Trackback | Comments(0)
11月21日にご自宅で録音データの編集作業をしつつ横になった状態で亡くなっているのが見つかったレコーディングエンジニアの藤井暁さんのことを何か書こうと思って数日が経ちました。

お一人の部屋で亡くなったので、現在、身元確認が行われている状況ですが、かなり親しかった私でさえ、亡くなって初めてお会いした妹さんとのDNA鑑定を待っているところです。落ち着いたら何らかの偲ぶ会を持てたらと思っています。

ものすごく長い時間一緒にいたので、思い出されることが多すぎて、何をどう書いていいのか、まだ全くわかりませんが、思いつくまま、時々書いてみるのがいいのかもしれないと思っています。

初めて会ったのは、1994年頃だったでしょうか。
私が時々アルバイトで「仮歌」の録音に入るスタジオで、そのスタジオのオーナーの津田さんが自分でエンジニアに入れない時に、友人の藤井さんにピンチヒッターを頼み、時々顔を合わせるというそんな出会でした。私はまだ大学生。自分の歌が「録音」という形に定着すること、それだけでも嬉しい時期でした。録音の合間に藤井さんとはよくMacの話をし、ちょうど私が卒論を書くのに、初めてMacを自分用に購入しようというタイミングだったので、いろいろ相談に乗ってもらって、パフォーマという機種を購入しましたし、入れるソフトもいろいろと面白そうなものを教えてもらいました。そこから私のMacとの暮らしも始まります。

その後、私は「仮歌」の音源が元になって、ファンハウスという大手のレコード会社からデビューしたのですが、その後、レコード会社が別の会社に買収され、私も契約解除になりました。そんなタイミングで、友人のライブを聞きに行った会場でたまたま藤井さんに再会します。しばらくぶりにお会いして、近況を報告し、モヤモヤしていたものをぶつけたら、日本の音楽の制作の現場だけ見てないで、他にもいろいろあるのを見て、体験したらいい。近々、ロンドンでプロデュースするアルバムの録音があるから遊びに来る?と誘ってもらったので、二つ返事で行くことにしました。それからが、藤井さんとの親しい付き合いの始まりでした。

お邪魔させてもらった録音の現場は、nanacoさんのアルバム制作。スタジオで、ミュージシャン達が、録音する曲についていろいろと話をし、じゃ、こうしよう、と決めたところで録音スタート、みんなで聞き返して再度録り直したり…そんな現場に目からウロコの毎日でした。それまで自分が関わっていた現場は、私の介在は限られていて、音源が出来上がったところに、私が歌を歌い、歌のテイクがOKかどうかも、私自身の判断ではなく、ディレクターがいいと思ったところを繋ぎあわせて一本にするようなそんなところだったので、180度違う世界でした。目の前の視界がさーっと広がったのを覚えています。出てくる音楽もカッコ良かった。録音の現場に、良く訳のわからない私みたいな人間が存在していることを許してくれたnanacoさんにもとても感謝しています。

nanacoさんの写真も素晴らしくて、自分もシャッターを押してみたくなり、その頃からどっぷりと写真を撮るということにハマっていきます。藤井さんにはいろんな写真展にも誘ってもらったし、カメラも貸してもらってたし、あちこち撮影にも行きました。写真関係では、面白いフォトグラファーがいる、ということで、岩根愛ちゃんを紹介してくれ、とても仲良くなって、それからずっと私のアーティスト写真類は愛ちゃんが撮ってくれています。この出会いも藤井さん。

私が英語が出来たこともあって、その後、藤井さんが関わっていて、英語の通訳があったほうがスムーズな現場に、どれほど一緒にいたか知れません。通訳やコーディネーションなどで、数々のスタジオ作業を共にしました。
敬称略、順不同で、
Ray Kane
Elodia Kane
山内雄喜
Bob Brozman & 平安隆
宮沢和史 & Arto Lindsay
ハンバートハンバート & ハウゴー&ホイロップ
Maria Karaniemi, Timo Alakotila, Olli Varis 東京公演
 後にTokyo Concertとしてリリース
フリーフォート東京公演
BS朝日制作のハワイのドキュメンタリー2本

本人に会うわけじゃないけれど、メールのやり取りの翻訳を間に入っていたものもたくさんありましたし、他にもいっぱいあったと思うんだけど、あんまりたくさんあって全部覚えていません…。思い出したら加筆します。

仕事としてじゃなく、この人面白いよ、このライブ見ていたほうがいいよ、というライブや録音にもあっちこっち連れて行ってもらっては、紹介してもらい、中にはその写真を撮らせてもらうってことをどっぷりやっていた時期もあります。いつかHaLoで一緒にやれたらいいね、ってたくさんの素敵な人たちを紹介してくれました。

直接紹介してくれて、HaLo関係で直接的に既にお世話になっている人たちだけでも(上に重複する人たちを除いて)
北中正和
TOMKEM
野村弥生
Louis Philippe
鴨宮諒
クリストファー・ハーディ
田村玄一
Danny Cummings (Dire Straits)
Alan Clerk (Dire Straits)
吉川忠英
松永孝義
土屋玲子
松浦有希
駒沢裕城
関島岳郎
野沢ケガニ秀行 (サザン・オールスターズ)
Taka & Mari (TamTam)
中川イサト
松田幸一
中川五郎
大須賀猛
劉以達
Danny Thompson (ex. Pentangle)
John Renbourn (ex .Pentangle)
坂東次郎
宮武希
大熊亘
川口義之
高田漣
長田進
吉野友加(tico moon)
影山敏彦(tico moon)

まだ抜けている人がいるかもしれないから、それは加筆することにして…。そして、ここから更にその人達が紹介して引きあわせてくれた人たちがものすごい数いるから、元をたどると…という人たちは数え切れないし、まだ共演が実現していない「いつか是非…」と言っている人たちもたくさんいます…。

なんか、どれくらいの長編を書くことになるんだろう…という気もしますが、まずは出会い編ということで、一旦区切ろうかと思います。

メールソフトの振り分けに個人名としては唯一「藤井」というフォルダがあることに気づきました。そんだけやりとり多かったんだなあ。

写真は肌身離さず連れて歩いていた、くまっち。2013年の2月に送られてきた写真。タイトルは雪のくまっち。

急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと01(出会い)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと02(生死に関わること)
急逝したレコーディングエンジニア藤井暁さんのこと03(今現在)
急逝したレコーディングエンジニアの藤井暁さんのこと04(録音のこと)
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# by ayako_HaLo | 2013-11-25 03:05 | friends | Trackback | Comments(0)
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昨年末は、武満徹の歌を歌うという機会をもらったし、来週の土曜日21日は、茨城出身の作詞家(主に童謡)、野口雨情の残した茨城の民謡を歌う、という機会をいただいた。

民謡なんて歌ったこともないし、民謡らしく歌うことは出来ないだろうけど、歌わせていただきます!幻の雨情の民謡聞きに来てくださいね。

私が歌うのは、

大子小唄
波浮の港
磯原節
磯原小唄

の4曲で、あと二人の歌手が4曲ずつ歌います。

facebookのイベントページ
https://www.facebook.com/events/198097383700057/
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「七つの子」「あの町この町」「青い眼の人形」などの歌で知られた、茨城県生まれの童謡詩人・野口雨情には、もう一つの顔があった。北は北海道から南は九州まで全国を旅して、各地の民謡を創作した民謡詩人としての一面である。だが、何故かその事実を知る人は少ない。昭和初期、茨城県にのこされた幻の11曲の民謡を通してその謎を探る異色のコンサート。

日時:2013年9月21日(土) 13:00~
会場:筑波学院大学 大教室
定員:500名 全席自由席 入場無料
お問い合わせ:雨情からのメッセージ実行委員会 TEL:090-5579-5726

主催:雨情からのメッセージ実行委員会
協力:筑波学院大学コミュニティカレッジ
後援:つくば市、つくば市商工会、筑波観光コンベンション協会、ACCS、ラヂオつくば、筑波学院大学OCP室
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# by ayako_HaLo | 2013-09-13 10:32 | HaLo news | Trackback | Comments(0)
明日司会をするワールドミュージックイベントは、ニコ生とUstreamで生配信されます。(アーカイブはありません)
行きたかったけど、行けなかった〜、という方は、どうぞご覧ください。

2013年 9月 5日(木)18:30~21:00  
『ポストモダン時代のジャズ』
 
講義概要      
19世紀から20世紀へという世紀の変わり目に、アメリカ合衆国南部の街ニューオリンズで生まれたジャズが、第2次大戦前の1930年代には国民音楽として全米に浸透し、世紀の後半にはいわばワールド・ミュージックの先駆けを演じることになった謎を解く。
       
講師 :  相倉 久人 (音楽・映像評論家)

東京生まれ。大学在学中にジャズ評論に手を染め、意欲的な活動をつづけるサークルとの出会いをきっかけに、ステージに立ち始める。新宿ピットイン、銀座のジャズ・ギャラリー8などの他、セロニアス・モンク、ジョン・コルトレーンなどの日本公演でも司会を務めた。『至高の日本ジャズ全史』『相倉久人のジャズ史夜話』など著書多数。

演奏 :  佐藤 允彦(ジャズピアニスト/作・編曲家)

 慶応義塾大学卒業後、米国バークリー音楽院に留学、作・編曲を学ぶ。帰国後は数多くのアルバム制作に携わり、国際的にも高い評価を得ている。また、ベルリン、ドナウエッシンゲン、メールス、モントルーなどのジャズ・フェスティバルへも出演し、国内に止まらない広範な活動は常に注目を集めている。1997年、自己のプロデュース・レーベル(BAJ Records)を創立。JASRACメンバー。
http://www.mmjp.or.jp/m_satoh/

配信:
【ニコニコ生放送】
http://live.nicovideo.jp/gate/lv150550404

【USTREAM】
JASRACページ
http://www.ustream.tv/user/JASRAC_kouhou
もしくは
http://www.ustream.tv/channel/mj-vol-29
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# by ayako_HaLo | 2013-09-04 23:16 | HaLo news | Trackback | Comments(0)
2013年8月17日(土) 17:30〜報道特集 http://www.tbs.co.jp/houtoku/index-j.html

静岡放送制作で、今年の5月に放映されたドキュメンタリー番組「希求 〜ある野球人が投じた一球」が、再編集で25分ほどになり、TBSの「報道特集」(土曜17:30〜)の中で放送されます。ナレーションを読んできました。

満州事変、日中戦争、太平洋戦争へと日本が戦争に突入していく頃、少年時代〜青年時代を過ごした一人の野球選手、松井栄造。国民的に人気のあった六大学野球のヒーローは、若くして戦死しました。今、小学校〜大学で野球をする子どもたち、若者たちへのインタビューを織り交ぜながら、松井の足跡が描かれ、最後は愕然とするんじゃないかと思います。

是非ご覧ください。

参考リンク
http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/culture/110309.htm
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# by ayako_HaLo | 2013-08-13 11:53 | HaLo news | Trackback | Comments(0)
ナレーションをしたドキュメンタリーが放送になります。地上波のNHKです。ご覧ください。

6月2日(日) 午前10:05-10:53

明日へ ー支えあおう
花咲く長城を目指して〜いわき万本桜プロジェクト

福島県いわき市の丘陵地帯に、9万9千本の桜を植えるプロジェクトが始まっている。その中核の一人が、中国人の蔡國強さん(55歳)。現代アートの最高峰と言われるベネチア・ビエンナーレ金獅子賞を獲得したアーティストだ。蔡さんはいわきの人々と深い友情で結ばれている。1986年、中国から来日した無名の蔡さんの芸術活動をいわきの人々が支えた。蔡さんは、日中関係が悪化し数多くの文化交流が途絶える中、プロジェクトを援助し続けた。プロジェクトに関わる地元の人々の思いをおりこみながら、桜を通した「心の再生」や「国境を超える交流」を描いていく。


http://www.nhk.or.jp/ashita/bangumi/

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# by ayako_HaLo | 2013-05-29 23:38 | HaLo news | Trackback | Comments(0)
静岡放送制作のドキュメンタリー番組のナレーションをしました。戦争に突入していく頃に、六大学野球の選手として国民的に人気のあった若い青年が戦争で命を落とすまでを軸に、今はご老人になっている同期の人たちの証言と、今の野球少年・青年たちのインタビューで構成されています。色々と考えさせられる番組だと思いました。是非ご覧ください。

SBSスペシャル (静岡放送)
『希求 ~ある野球人が投じた一球~』
5月26日(日)深夜24:50~25:50
日曜日の深夜です。
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# by ayako_HaLo | 2013-05-20 23:39 | HaLo news | Trackback | Comments(0)